令和になりました。あまりその話題に乗りたくないなと思っていました。
4月30日はゆく年くる年みたいにテレビがなってるし、
LINEでおめでとうなんて言ってくる人もいましたが、あのおじさんも乗り軽いよなぁ。
私は以前レザニフォルっていうギルドを主宰してたんですよ。
時代に飲み込まれるな周りに流されるなという意味を込めて
狂騒の時代という意味をギルド名に与えたのですよ。

先日ツイッターで以前つぶやいたシベリアマップの一つにリプライがありました。
 
シベリア鉄道と河川交通《ボストーク、東へ=シベリア探検》)【はまかぜの旅団】


新天皇の研究課題がヨーロッパ河川交通だそうです。

第4回世界水フォ-ラム全体会合における皇太子殿下基調講演

この論文が素晴らしい。示唆に富んでいて感動します。
運輸、上下水道、干拓と灌漑、再生社会など多岐にわたる考察が素晴らしい。ブラタモリでパリの汚物処理の悲惨さの話が出ていたのは記憶に新しい。私の新潟県の干拓事業や江戸時代の土木技術の急速な発展からの治水と食糧増産への関心にも大いに刺激を与える。江戸時代の人口の爆発的増加の背景が見える。
一読をお勧めします。


確かに言われてみると記憶の奥にそんな文言が入っていました。
ああ、そうか、なんか親近感がわいてきたなぁ。
まあ、私なんて付け焼刃なので比べられたら大変恥ずかしいですけどもね。

江戸時代で言えば、私のような運転手は運河を行く舟の船頭です。
20代はよくバイクで旅をしていました。キャンプもやっていました。
それが平成の私の青春です。その頃から仕事でも趣味でも地図帳を開いて
あちこち行くことや地理を知ることが好きでした。
人類史にも興味はありました。
そもそも学生時代から社会・歴史と地理の副読本がとても好きで
暗記よりかそっちの関連項目を読むほうばかりにウツツを抜かしていましたね。

Civ1 古代の道【はまかぜの旅団 歴史研究】


1556746105428

科学の発展と文明の発展を想うと、やがてまた河川や
海の交通が主役になる時代がやってくるのではないかと思います。
文明が発展していけば資源を無限に使う事は出来ない限界点があります。
21世紀は空想科学の時代になりませんでした。
そう思うと、中世の河川交通というのは未来を思い浮かべるのに
大きく役に立つのではないでしょうか。

あたしい天皇には皇太子時代には全く何も感じなかったのに
昨日からはなにか親近感が湧いたなぁという思いがあります。
「国民の統合の象徴」は尊く必要なものだとも考えています。
天皇制度を廃止しなかったのは大東亜戦争の敗戦で大きな失敗だったと
考えていた時代がありましたが、大いに私は誤っていたと思います。
だからといって特に象徴天皇を礼賛しようという気持ちはありませんけどね。
社会に参画する人間がそれぞれ意思疎通が可能な社会なら
統合の象徴は必要ないだろうと思いますが、この先100年か1000年か
そうなるまでには長い時間が必要となるでしょう。
それまでは必要不可欠な権威であると思います。

1556746256489

ニュースで街角インタビューで
「新しい元号を祝福で向かるのは珍しいことだと思います」
というような事を話してる人がいました。
なるほど、そんなに多くの事例を知ってるわけではないけども、
天皇の崩御と新天皇の即位だった平成は空気が重かったかもしれない。
それ以前もきっとそうでしょうね。
4月末にちょうちん行列をやってる人達のニュースには私は閉口してましたね。
カメラの視野の外はすっからかんだろうという雰囲気だったし、何やってるんだよって。

システムを切り替えていくのは十分な周知行為と時間がかかる。
それが儀式でしょう。
最近、横浜港などでよく思ってたことですが突然ルール変更して
ロクな周知活動もない事には全く困ったものです。
コミュニケーションが欠落している。
昔から、そういう事の必要性はあったけど、
それを理解していない現代人が非常に多いということでしょうか。

時代は発展していくものではない、人も必ずしも進化しない。
文明も今までの延長線上には発展していかない。
そのように思います。
ただ、これだけ情報化社会になっているのだから、
そして近未来にはそれは更にIoTで発展する。

その先はどうだろうか。
コミュニケーションの方法論が確立さえしてしまえば、
やがてまたITも必要になくなるのかもしれない。
大切な事はコミュニケーションを確立するという事だと思います。

情報革命の最初は電気を使った電話があってすごく便利になった、
という事からだったかもしれない。
つまり、コミュニケーションに役に立ったという事だ。
生産と加工と流通で経済は成り立っている。
そこにコミュニケーションが必要となる。
もし、精神的に発展した人類がそれらを行うなら誤解や争いは収められるのではないだろうか。
話の通じない人、精神がまるでオサナゴのまま加齢していく人々、
集団と個の関係性が分からない人の少ない社会とも言い換えられる。
そこに必ずしも電気は必要ないだろう。
それが人類の向かう進化の方向かもしれない。


今の私が行う事はとりあえず「よく見てよく聞いてよく考えて」「話し」て「書いて」みる。
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか(wikipedia)
この問いへの現在の私なりのその答えがこれらです。