コンビニで友人と待ち合わせをしていた。
彼はこれから向かうよとLINEで連絡してきた後、なかなか現れない。
その間の時間つぶしで最近頭の中で鳴り響いてた曲の曲名におもいを巡らす。
数日前に見たNHKの音楽番組のマーラーを思い出し、その関係で追ってみたら
その曲にたどり着いた。



しかし、なんでこの曲が脳内ループしてたのだろうか。
最近映画で見たような、それとも何かのアニメかドラマだったんだろうか。
ポピュラーな曲ではあるから、ひょっとしたら街中で聞いたのだろうか。
葬送曲としても有名だ。

なにかの映画で使われてたよな、なんだっけか。
件の友人にLINEで聞いてみたら、「ベニスに死す」だと即答してきた。
彼は映画は見た事がないそうだ。単にクラシック好きなだけだ。
私もベニスに死すは見た事がない、と思う。
YoutubeでPR動画を見たら見たような場面が幾つかあり、
ひょっとしたら見たのかもしれない。

20代はじめのころに読んでた19世紀の小説家の作品や
フィリップ・K・ディックとか、書棚の背表紙を見て内容が思い出せないものが多くある。
同じように観たのに思い出せないのかもしれない。
いずれにしてもネットで調べれば直ぐに沢山の情報が手に入る世の中です。
情報を確認してみましたが、やっぱり見たかどうかは思い出せなかった。
では何がキッカケで私の脳内でリピートしていたのか。
別の作品で見たのか何か未だに分からない。

このシンフォニーをiTunesで購入しようかと思ったが、
その前にYoutubeで指揮者ごとの違いを聞き比べてみる。
聞き比べるとやはり違うものだから、どれにしたら良いのか迷ってしまう。
私はそんなの全く分からんが、カラヤンの指揮が好きな彼がこの曲に関して言えば
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮がいいのだそうだ。
最初に見たサザエさんやドラえもんの声優と同じで、最初に聞いたアダージェットが
ショルティだったから、自分にはそれがいいとの事でした。

さて遅れること2時間くらい、ようやくあいつから連絡が来て待ち合わせ場所に行く。
ボルボのクーペの窓を叩いてコーヒーを飲むか聞こうとしたら、グローブボックスをあさってCDを探していた。
店から戻って助手席に座るとマーラーは掛かっていない。
どうして掛かってないかと問うと
「マーラーは車の中で聴くようなものじゃない。正座して集中して精神を傾けて聴くものだ」
と毅然と言い放った。
ぬはっ、気軽に聞こうとして申しわけありません。

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近所のガストには未だに喫煙席があった。
最近の私の喫煙習慣はJTのプルーム・テックに変えて以前とは大分変わった。
別段、喫煙席でなくてもよかった。
むしろ他人の喫煙が気になって仕方ないから店内禁煙でもこの頃は何も問題はなかった。
それでも今回は店内にお客さんは少なくて、壁に囲まれていて
落ち着きがあったのでそちらに着席した。
人の少ない喫煙席で食後に気兼ねなく水蒸気をくゆらせるのは悪くない。

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彼のこの頃のお気に入りは廃道マニアのブロガーの話だ。

その人の記事を語るのが熱い。そのサイトを読んで現地に脚を運ぶ始末である。
昨夜はグーグルマップを開いて、清水峠国道:291号線について熱く説明していた。
(居平坂ルートの開通が明治23年:1890年との事です)
Googleマップを使い始めのころにやりがちな、お気に入り登録で
ルートを描こうという段階に達していたのでレイヤーの書き方を指南した。

普段、私のするパソコン話はあまり興味を示さないのだが、
今回は真剣に聞いてくれてた(笑
ビールを飲み饒舌になる。この頃あまり出かけて飲酒はしなかったんですけどね。
ついつい4杯も飲んでしまった。





彼のアカウント上に練習で1枚書いた後に、私の一番新しいマップを例に見せた。
先週もあいつとドライブしてたんだけど、その時に私が熱く語った
「赤毛のアン」については殆ど興味を示さなかったが
今回は多少は質問してくれて嬉しかった(苦笑


子供の頃から青年時代まで赤毛のアンは好きになれなかった。
理由はいろいろある。今観てみると、目から鱗が取れて入ってくる情報のどれもが凄い。
ブログでそれを書けばいい、俺には話さなくて言いとあいつは言うが、
こんなニワカなファンが他のファンの方々に対して恐れ多い、
例えば富野監督の作品を流して観たファンを引き合いに出して言うとある程度理解を示してくれた。

今のところ私は日本アニメーションの赤毛のアンを繰り返し観て、原作も少し読み始めた程度です。
どうやら映画やTVドラマはちょっとあれみたいなので今後は読むほうをメインにしたい。

村岡花子 訳



神山妙子 訳
赤毛のアン
L・M・モンゴメリ
グーテンベルク21
2012-12-19





アニメを見たあと購入すべき日本語版のアンを探していて
試し読みしていると結構翻訳が違う。
アニメの話中でも翻訳で気になるところがいくつもある。
例えば敬称の問題などで、ニュアンスが大分変わりそうな気がする。
その辺も原作本を読んでどうにかクリアにしてみたいです。

Anne: The Green Gables Complete Collection (All 10 Anne Books, including Anne of Green Gables, Anne of Avonlea, and 8 More Books) (English Edition)
Lucy Maud Montgomery
Mapleleaf Books
2014-08-05



夏目漱石にしても同じだけど、年齢を経たから分かる趣きと云うのがある。
子供には分からないという部分は多い。
赤毛のアンに関して言えば、ヒューマニズムの理想を描いていると私は感じる。
みなしごと子供が居ない老いた兄妹の関係は親子関係の一種ではなく
人間関係の一種の理想を描いていると考えられる。
養子縁組をせず、しかし主従関係でもない。
彼らを繋いでいるのは人を思う気持ちだ。
 
それを踏まえてみてると、全部の流れが非常に良く分かる。
それが見えないと分からないから、若いころは分からなかったんだろうな。
あとは保護者視点と云う事もあるだろう。





プリンスエドワード島の歴史を簡単に読むと、カナダの自治独立の始まりの地だという。
コンフェデレーションという言葉をあちこちでみるが、連邦結成という意味らしい。
(コンフェデレーション:北米の各地にあったイギリスの植民地を「カナダ」に連合する運動)
プリンスエドワード島鉄道は廃業し、現在その路線は
ハイキング/サイクリングロードとして整備されてる。

先週、友人は悲しそうな、哀れむような顔をして「子供向けアニメだろ」と言った。
私も長らく女の子向けアニメだと思ってた。しかし、実態はどうも違ってた。
赤毛のアンの初版は1908年。ちなみにさっきのマーラーのシンフォニー5番が1901年。
この時、児童文学で発売されただろうか?当時の書籍は値の張るものだっただろう。
未だに、児童には難しすぎて一部の女の子だけが一種の理想に自分を重ね
感情移入できるだろうと思う。

では子育て中の親世代の教育マニュアルとしていいかというとそれもありえない。
リアルタイムで子育てしてたら、あんな風には振舞えないのが当然で
そのせいで自分を責めるようなことがあったら逆効果だろ。
子育てから一歩ひいた目線で見ないと理解できないところが多い。

子供の側にしたって優等生になれと言われるのは重荷だ。
その自身が勝手にああいう生活や人や自然に憧れを抱くぶんには全く問題ない。
しかしそれは押し付けられるものではない。
児童に勧めるようなものではないだろうと思いますよ。


背表紙のタイトルを見て内容を中々思い出せない19世紀の作家の本の多くで、
理解できない部分のいくらかをキリスト教的な社会背景という理解をしていたような覚えがある。
赤毛のアンを観て思うのは、それもあるだろうが市民感情とか個人主義といった
日本には根付いていないヒューマニズムに基づいているという事だ。
そんな事は横においても、「愛」が溢れた模様には涙腺が緩みっぱなしになる。

アンとマシューの最初のドライブからすっかり私はまいってしまった。
その夜のマシューの一言には仰天してしまった。
そしてマリラにずっと感情移入していた。
年を取ったんだなと思った。
内容を思い出せないあのころの本を読み直したらきっと面白いかもしれない。

赤毛のアンはフィクションだ。地図でレイヤーを書いていて中々動線が繋がらない。
内容もこういってはなんだけど相当大きな理想を詰め込んである夢物語だ。
しかし勿論、話として面白い。
連続で観たけど感動して涙と鼻水が出て、途中から鼻の下が痛くなるほどだった。

受け取り方次第で色んな感じ方が出来る。
今回私が痛感したのはバイキングの襲来移行に変わって行った西欧の市民の意識で、
その理想の頂きの一つなのだろうと思えた。

マーラー、国道、赤毛のアン、いずれも19世紀末から20世紀初頭の話ではありましたが、
ざっくりいって19世紀のロマンを思いながら秋の夜長を過ごすのは、
誰にもきっと楽しい事ですよ。

そして誰かとそれを話せたらもっと楽しいでしょうね。



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