最終更新日2019.6.22

    私は最近アマゾンプライムの会員になった。
    折角なんで、プライムビデオも見ないと勿体無い。
    プライム会員は会員対象の年会費の中で追加料金なしで
    色々見られる映画やTV番組がそこそこある。

    その中から幾つかピックアップしました。
    同時にそれらの映画の観想と、それから派生した戦争評と組織論を書きます。















    バンド・オブ・ブラザーズはトム・ハンクスが
    プライベートライアンの後に製作サイドに入って作られた。
    この番組は製作費1億2千万ドル、今のレートで133億円くらい掛かっている。
    TV番組というと安っぽい感じなるけど、
    これは見れば分かるようにプライベートライアンと同じクオリティになっている。

    色んな語り口が見た人によってあるだろう。
    私が特に注目したのは、「組織論」だ。
    組織論がそのままテーマの話も中にはある。

    ドイツ軍が1939年9月のポーランド侵攻の時点で150万人くらいが動員されたそうです。
    この西部戦線の連合軍のアメリカ軍は、Wikipediaによると
    「1944年5月当時、上陸作戦に備えてイギリス国内に駐留したアメリカ兵は約150万人に上った」
    そうだ。

    この人数の人間が動くというのは、ちょっとした行政単位だ。
    100万都市の人間が一斉にイギリスに行って、
    その内の何割かが上陸作戦に参加する。
    食事は毎日必要だし、弾薬も必要だ。
    そう考えてみると、大変な集団ツアーだとも言える。
    旅行業務で宿泊や食事を整え武器弾薬のロジスティックを計画するのだ。

    単純に考えて見て、毎日150万人に食事を提供する
    と考えるだけでも容易なことじゃない。
    実のところ、戦車とか飛行機とか弾薬とか、
    そんな事よりも食事や嗜好品を与える事が
    「人間を生かし、行軍させる」事には大切だ。
     
    蛮勇を誇る軍隊なんてことばかりが常に言われてきたが
    そんな事は実はあまり重要なことじゃない。

    もちろん150万人がいっせいにフランスに行ったりはしない。
    後方基地や兵站の要因は戦闘員よりはおおかろうから、
    それを間引いて考える必要はある。
    でも作戦ごとに戦線には2万人や3万人は行くのだから
    その小さい単位で考えても現在の企業なんてレベルでは考えられない
    組織運営能力が必要になる。

    本国では彼らの為に自動車工場の生産ラインを戦車組み立てラインにし
    衣服や食料やや医薬品や銃や弾薬などを生産する為に産業改革を行った。
    戦争というのは戦地だけで行われるわけじゃない。 

    イージス艦やヘリ空母を購入するとか優秀な戦闘機があったら
    1局面は有利かもしれないけど、制圧するのは難しい。
    戦争とは組織運営と経済問題だ。
    都市で空爆や戦闘を行えば、その後復興では建設ラッシュとなる。

    戦争とは経済政策そのものである。

    実際に(使えねぇ〜)オスプレーの様な飛行機を何故作るのか?
    その飛行機を作る企業城下町と周辺地域の経済を支えるためだ。

    戦線に物資と人員を送り続けなければ戦線は維持できない。
    最前線では数ヶ月おきに部隊は入れ替わる。
    「作って、運ぶ」という事が戦闘行為に使う時間より圧倒的に長い。
    消費されたら、作って運ぶのだ。
    何をしてなくても腹は減るし、食ったら余り物は出したくなる。
    戦闘行為が無くてもご飯は必要だし換えの下着だって欲しい。
    戦争ではそういう非戦闘の消費活動だって非常に多い。


    では戦局だけで見るとどうだろうか。
    パールハーバーの奇襲やミッドウェイ海戦で
    島の占領をやっていたらどうだっただろうか?
    日本は日露戦争の日本海海戦のように、
    艦隊同士の戦に勝つだけの美学に囚われていた。
    (ミッドウェイの場合は海戦と上陸作戦が中途半端だった)

    今のネトウヨが戦闘機のスペックや戦闘機の数といった戦力差云々で
    隣国との戦争を語ることが多いのだが、
    地域を制圧しない限り戦闘は終わらないということがすっぽり抜けている。

    そして日本は制圧行動を行えないとなれば改憲を安易に語る。 
    日本の軍事費は原状でも世界でトップクラスだ。
    改憲してアメリカ海兵隊の様に日本軍(自衛隊)が占領政策を行うとなれば、
    軍事費は今以上に膨らみ、国家経営を危機に追い込むだろう。
    まるで明治から昭和を繰り返すようなものだ。

    制圧部隊はアメリカの場合は海兵隊が海軍や陸軍とは別にある。
    日本帝国海軍は陸戦隊が船の乗員と兼任の様な形で、少々居る程度。
    大日本帝国の軍には海兵隊が居ない。
    だから陸軍と海軍の共同作戦が必要で、マレー半島上陸作戦はそれで行われた。
    しかし以降は海軍と陸軍は仲違いしてばかり。
    お飾り程度の海軍の陸戦部隊だけでは地域の面制圧など不可能だ。
     
    その辺の考え方や組織運用方法の違いも、レーダー、戦闘機、空母、
    暗号解読などといった新兵器開発に対する思想以上に差が大きかっただろう。

    日本軍と米軍は組織運営論が決定的に違っていた。

    アメリカは前線の兵隊にチョコレートやタバコを沢山送っている。
    日本のゼロ戦が2000馬力なら、4000馬力のエンジンを開発する。
    スペックの劣る戦闘機戦では1対1の戦闘を避け、1機対2機の戦闘をする。
    そのために飛行機を増産した。





    英語Wikipedia



    日本が重んじるのは精神論だ

    日本軍の場合、勇猛を誇った連隊、或いは師団の基準と云うのは
    戦死や戦病死の死亡者数が多いか少ないかで決する。

    たった一つしかない人間の命を万歳突撃で沢山散らせた指揮官というのが
    優秀な指揮官と云うことになる。

    こんにち、ヒーローと云ったら無敵や不死身が売りで、
    ワンマンアーミーなんていうのが思い浮かぶ。
    超人ヒーローは傷ついても、絶対に最後は手足も失わずに勝つんだ。

    だけど、戦争と云うのは違う。優秀な兵隊は真っ先に銃弾に倒れる。
    砲弾で手足を失い、はらわたを撒き散らし、遺体はウジだらけになって
    死んでようやく勲章を貰え昇進する。
    生還したら年金はもらえないし、良い事はなかったんだ。
    戦争に召集されたら生き残らず死ぬ事が名誉であり遺族にお金を残す。
    戦死しなけれな英雄にはなれない。 

    ヨーロッパの戦いというのは、日本の精神論ばかりを言うのに比べれば
    ジェントルな部分を感じる。だって、ドイツは連合軍がドイツ国内に入った後に
    連合軍に勝てないとのなった時、降伏するのに一斉に60万人が投降してきたなんて事がおこっている。

    アメリカ人はイギリス、フランス、ロシア系ユダヤ人が多く、
    イギリスは王族単位でドイツと血の繋がりが強い。
    元々の民族的にドイツと連合軍は同じキリスト教の影響下にある。
    北欧のバイキングの侵略の歴史もあって民族的には論理的だ。
    だから組織論とは何かという問いをテーマに出来るように思う。








    ザ・パシフィック コンプリート・ボックス(5枚組) [Blu-ray]
    ジェームズ・バッジ・デール
    ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
    2015-11-03




    ザ・パシフィックはバンド・オブ・ブラザーズと同じように作られた作品。
    舞台は太平洋戦争。
    戦争映画と云うよりも、「スプラッターホラー」と評したほうが適切かもしれない。

    地獄絵図である。


    日本軍からガダルカナルを奪取し防衛するところから主人公の兵士達が参戦する。

    ガダルカナルの奪取後は近くの島にキャンプが出来上がる。
    その後の連合軍の飛び石作戦で戦略的に意味の大きい島だけを攻略する。
    ラバウルみたいな大拠点だが制圧する価値が無い場所では奪取には消極的で
    オーストラリア方面から迂回して北上していく。

    日本軍は全滅するまで戦うのがノモンハン事件以降にできた
    生きて虜囚の辱めを受けず」の伝統であり、その伝統をまもり玉砕するまで戦う。
    玉砕というのは全滅するという意味である。
    空虚な概念で人々を惑わす為の、国民洗脳の為の妄言、暴論である国体(國體)の護持の為に兵士達は死んでいく

    アメリカ海兵隊から見た日本人なんだけど、
    ゾンビ映画のゾンビのようなヤラレ役とはちょっと違う。
    今日、アメリカを苦しめた日本人兵士に対する
    畏敬の念が含まれているように思える。

    うがった見方をすれば武士道だ。
    敗残の将を罵倒してたら、弱い奴に勝ったなら
    勝つのが当たり前みたいに感じる。
    計り知れない強敵に打ち勝ったとした方が、
    勝利はより大きな評価を得えて価値は増す。

    でも実際、PTSDを発祥し社会復帰が難しくなった兵隊は大勢居たようだ。
    日本の兵卒達は強敵だったのだ。



    それはこの作品の前に公開された
    クリントイーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」でも同じだった。



    ゾンビとは書いたけど、戦死した戦友の無数の死体が倒れている中にひそみ
    夜中にアメリカ兵を襲う日本兵もいたそうだ。
    ゾンビ映画と同じで死体が起き上がって襲ってくるのだ。
    そんな事を思いながらこの2つの作品を見ていると、
    心的外傷になりかねない。

    手榴弾を抱えて自決した後の死体のリアリティだとか、
    まあちょっと書くのを控えたいような状態の映像が満載で
    年齢制限が必要だろうと思う。



    昨夜、友人が誘ってきて深夜のドライブに行ってきた。
    そして太平洋戦争のレイヤーを見せながらこれらの話をしていた。

    彼は「何故にガダルカナルになんて行ったか意味がわからない」という。
    日本の主な占領地から大分離れている小さな島だしね。

    勿論、彼もそれぞれの戦時局面の事は知ってるけどそれぞれの繋がりわからない。
    私も同じような時期があった。一度書籍を読んだりテレビでみて
    その時は判った気になるんだけど、その内数年で忘れてしまう。

    ラバウルだとか言われればなんとなくイメージは湧く。
    でも繋がりが分からない。

    そういう人のニーズを満たすマップがこれだ。



    まずトラック諸島。

    なんでそんな僻地に軍艦の停泊地を作ったか意味分からないという。
    太平洋の制海権を得るのに、アメリカはハワイに基地を作っていたように
    日本はトラック諸島に基地を作った。
    マップを見ると分かりやすいが、南東側にアメリカと
    東オーストラリアを結ぶ海運航路がある。
    その途中にはイギリス領やアメリカ領の島々がある。
    この米豪の補給線の断絶は懸案事項であった。



    日本はアメリカと開戦する前から「経済制裁」を受けていた。
    今日もアメリカは各国に対し経済制裁を行うのが常套手段である。
    中東や近所の国にやってるよね。

    日本は石油を輸入できなくなって困ったから
    インドネシアの油田が欲しかった。

    日本軍は真珠湾攻撃の数時間前にマレー半島上陸作戦を開始してイギリス軍と戦火を交える。
    なにか太平洋戦争というとアメリカとばかり戦っていた様な誤解がある。
    初戦から暫くはマレー半島のイギリス軍の掃討が主な戦いであった。
    日本軍が南方に進出したのは石油などの資源が欲しかったのであって、
    インドネシアからニューギニアまでを制圧できてれば当面はよかった。

    そして連合軍がオーストラリアから攻めて来る。
    そこで日本はオーストラリアを制圧するのに、まずニューギニアの連合軍の
    前進基地のあるポートモレスビーを制圧したかった。

    ポートモレスビーの制圧には制空権を得て地上制圧する必要である。
    その少し前の珊瑚海海戦でも空母を失っていた。
    珊瑚海の海戦は史上初の空母同士の戦闘だった。 
    そしてその後、ミッドウェイ海戦で4隻も空母を沈められてしまう。
    ニューギニアからオーストラリアに侵攻していくのに必要な空母を日本は失ってしまった。

    ニューギニアのポートモレスビーには航空基地がある。
    日本がオーストラリアに進軍しないとしてもオーストラリアからの連合軍は北への進軍して来る。

    ポートモレスビーの航空部隊はトラック諸島を襲撃する恐れがある。
    トラック諸島を襲われるのは適わない。
    敵艦隊が制海権を抑えてしまうと占領地域の防衛や本土への資源輸送が危うくなる。

    そういうわけで空母がなくなってしまった穴埋めに、
    ポートモレスビーの攻略の為に何処かの島に地上航空基地が欲しくなる。
    それでガダルカナルを制圧し航空基地を作っていた。
    建設途中の防備は薄いところにアメリカ海軍が襲ってきた。

    ガダルカナルはミッドウェイの次の負け戦だ。
    このニューギニアからソロモン諸島にかけての珊瑚海周辺を海上封鎖できずに
    オーストラリアから連合軍がジャンジャン攻めて来て、
    大日本帝国の防衛線の突破口となってしまった。

    日本は南方に進出するのに植民地の宗主国からの開放や独立を
    後付の理由に持ってきたけど、単に言い訳だから。
    尤もらしい事をいって自己の正当化をはかっているが
    資源が欲しくて次の宗主国になろうと侵略していった、と私は評している。
    満州国や朝鮮をみればそれは分かるし、
    ビルマやインドネシアではなかなか独立を認めなかった。
    日本軍は最初しか歓迎されなかった。

    日本は東南アジアで機会と物資と人心を失う。
    國體の護持など同じ組織内にしか通用しないローカルルールであって、
    インターナショナルな場で赤の他人との構築する社会の中では用を成さない洗脳文句だ。
    日本は子供じみた考えの中で村社会のローカルルールで論理を重んじずに
    ワガママ言ってる子供のみたいな自己中の成人の様に周囲から侮蔑され孤立した結果、敗戦を迎える。




    現在の私達と戦争の影


    論理のすり替えや大義名分とか、今のネット社会の書き込みでもよく見るし
    それは週刊誌で誰かをバッシングする昭和からの伝統でも同じだし
    ブラック企業なんていわれてる組織の馬鹿な社員や上司、経営者とも重なって見える。

    各事件の問題人物を見てるとコミュ障の片鱗が見える。
    例えば辻政信がそうだ。大失敗を繰り返し甚大な戦死者を出してるにも拘らず出世して行く。
    失敗して学んだはずだから、を繰り返して行く。
    アメリカ軍の場合は首切りが早い。
    それと比べると日本は身内贔屓が深刻に病んでいる。
    当の現場担当者達は自分の失敗を部下になすりつけて自殺させ続けて行く。
    「保身」の為に失敗が無かったと事実を隠蔽し、成果は数字を水増して、
    上司にはゴマをすって虚構のキャリアを積み上げて行く。

    私の周囲でよく見るのは、罪や失敗を責めていると中東の争いをやってる人らみたいに
    絶対に非を認めない、相手や状況が悪いと言い続ける風景だ。
    そして反論が出来なくすると自分よりもっと悪い奴が居るんだと論理のすり替えを始める。


    「俺よりももっと悪い奴がいる」

    ⇨偏差値を論じてない。他の誰かの失敗を問うのはその当人と別の場所で行う。
    今はお前の話だ。程度の良し悪しなぞ論じてないのだ。

    「原因を作ったのは他の奴だ」

    ⇨確認を怠って責任を負うのはお前だ。別の奴の責任を問うのは他の場所でやる。
    今はお前の手抜き仕事の話だ。
     根源的な善悪の話とか哲学の問答は他所でやれ。
    読み書き算数が出来ない、要点をまとめて話せない。
    文が書けない、そういうお前が俺に説法を説くな。
    時間の無駄だ。

    こんな問答が若い頃からたまにある。


    そしてまるで5歳児を叱ってる時の様な状況になる。
    彼らは常になにをやったとしても褒めて欲しい。
    おだてて欲しい、そういう気持ちで常に過ごしている。
    年齢で見れば大人なのになんでそんな事を言ったり考えたりしてるのか?
    今、仕事のミスを話し合ってる場で心理的にそんな状態は有り得ないだろ?
    と思うのだけど、実際問題そんな事になってる。

    「怒られたくない、怒られたくない、怒られたくない」その一心しか無い。
    その「感情」より優先する「思考」が今現在あるだろ!
    子供か!

    で、それが終わるとお決まりなのが
    「俺の本当の怖さを教えてやる」と恨み出す。
    成果は無いけれど俺やアタシの「本当のランクは何位」で
    「ヒエラルキーの上位階層」に位置していてお前の様なレベルの奴が勝てないのだと思い知らせてくれようと企む。

    そうして、暴力であったり仲間ハズレだったり根拠のない酷い噂話を広めるなど様々な嫌がらせを行う。
    そんな奴に限って役職が付いて行くなら当然会社はダメになる。社会はダメになる。

    そして私はそういう彼らが充分怖い。
    その選民思想も怖い。
    嫌がらせや車にイタズラする事に躊躇なく「自分を護る」ための
    正義の行いだと言い切ってるあたりも精神異常を感じて怖い。

    ハッキリ言って「バカのクセに選民思想で自分はエリートだ」と思ってる。
    競って買ったこともないくせに。

    そんな彼らが上役になると本質が見えず上部のテンプレート発言を繰り返す。
    最初にテンプレートを用意してその通りだと了承しろという。
    まるで今も警察で広くやってる冤罪と同じ。
    被害者をテンプレートにはめ込んで、犯人に仕立てる。
    交通事故でも調べると面倒だから無理矢理前例をひいてきてしまう。
    ああいうのと同じ。

    説明しようとすると「言い訳するな」と返してくる。
    そう、先に書いた彼らが言われて傷ついた文言を並べてくる。
    「俺に迷惑を掛けやがって」と言い尻拭いをしようなんて考えは微塵も無い。
    尻拭いをしてから説教してない。ひたすら謝罪を要求してくる。
    俺だったらこう思う、俺だったらこう書く、俺だったら、俺だったら、、、、
    それに突っ込みを入れると常識は、普通は、みんなが言ってる、と例のやつが始まる。
    常識を定義させ普通を説明させてみんなは、誰と誰が何を言ったか説明させれば言えない。書けない。
    誰と誰を呼び出して話を聞けばデタラメ。

    それなら彼らは妄想の中に生きてると言える。
    ありもしない話を元に言葉を発して行動する。
    自分にだけ都合の良い話で妄言を吐き妄想する。
    虚構の中の現実と現実の境がない。

    50才、60才だとしても関係ない。39才、40才でも彼らはずっと同じで成長して来てない。



    「だってそうじゃないですか」
    「だって、そう思うでしょ」
    「だって分かるでしょ」
    「だって、みんなが言ってるし」
    だって、だって、だって、だって、
    甘え言葉で同意を求める。
    抱っこちゃんならぬ、だってちゃん。
    だってを代入した部分をまず説明してみろ。


    例えば、収監された元IT社長や匿名掲示板の管理人、
    彼等もおなじ。元IT社長の社員に対する暴言や、
    インタビューの時に「儲かりますから」以外の話の展開が何も出来ない感じ。
    組織の内部では生殺与奪の権利をちらつかせて怒鳴り暴論を吐いて
    人を縛ることは出来ても、甘えの利かない赤の他人と論議を重ねるとなると
    決まったフレーズを繰り返すだけ。
    私から見ると、パチンコの設け話をしているワンパターンな人と全く同じに見える。
    野球の球団を買って、その後スポーツ振興はどうなるというのはその元IT社長は
    答えられずに「儲かるから、儲かるから」と繰り返していたのを未だに忘れない。

    宇宙旅行の会社を作る理由も儲かるからであって、夢とかロマンそういう話は出てこない。

    ロケット開発というのは、ロケットエンジンなんて制御できないものは何十個も作って、
    たまたまうまく行った設計をよく分からないけど爆発しないから使っていこう、という事の繰り返しだ。

    ソビエトのロケットなんて束ねたような格好をしている。
    大出力のたった1個のエンジンを第一段階用に作れなかった。
    成功した中型エンジンを何個も束ねることでデカイロケットを作った。
    現在ソユーズを打ち上げてるのは古い設計ではあるが、
    安心して使える中サイズのロケットエンジンだといえる。
     
    そういうことを考えると、ロケットベンチャーをやってる会社に
    現在の技術で物理を解析して科学の力で省コストで儲ける為に開発しろ、
    なんて言ってたら成功するようには思えないな。
     
    湯水のようにお金を注ぎ込んで何十個も試作ロケットエンジンを作り
    その内一個か2個か上手くうまく行ったのを使っていく、
    それが宇宙開発の基本的考え方のように思う。

    アメリカもソ連も国家予算を散々使って、ミサイル開発やロケット開発をやって
    やっとその財産が今残っているという意味を考えた方がいいと思う。
    省コストで開発出来る時代にはまだ到達していない。


    この映画の中で、ポツダム宣言を日本が受諾すると連絡した後に
    アメリカからの返信文の中の「subject to」を傍受した
    大本営の参謀達が描かれる。

    政府では外交官が英語はべらべらにしゃべれて悪意無く受け取るが、
    電文を勝手に傍受してた若い陸軍参謀たちは英語の分厚い辞書を
    見ながら隷属するのだと受け取る。
    日本の皇軍が鬼畜米英に服従するのが耐えられない!となって
    226事件の様なクーデーターを起こそうとする。

    悪くすれば本土決戦、女子供も竹やりで機関銃の前にバンザイ突撃していた。
    そして日本はソ連とアメリカに分割占領されて滅んでいたかもしれない。
    彼らは徹底抗戦しようと最後まで天皇の意思を無視して
    解釈を変えてやろうとしていた。

    陸軍省と海軍省という省庁があったけど、実質的に軍のトップは
    その当時参謀会議だったといってもいい。
    そこに英文を辞書をひいて翻訳する詰め込みがた頭でっかちで
    ヒステリーの塊の詰め込み型トップエリートしか居なかった。

    要するに英語が喋れる駐在武官経験者や実務経験者が居なかった。
    実務が分からない秀才の見せ掛けのキャリアを積んできた将校、
    将軍たちが理由もよく分からない誰かが言い始めた
    一見正しいようなスローガンを繰り返し喚いて国を動かしていた。
    日露戦争でも実務に有能な人間は先に死ぬ。
    有能な人間が生き残っても無能な人間には目障りだから出世しないように圧力をかける。 

    実務能力が無いから現場を外された仕事の出来ない奴が事務方に回って上司に根回しをして
    いつのまにか経営側に入っていて人事権などを掌握して現場に無理難題を押し付ける。
    そんな風景をあなたの会社で見かけませんか?

    それが日本だったと思う。
    それは私の実生活の範囲でもよくみるから、そう思わざるを得ない。
    映画を作ってきた人達もきっと、自分の身の回りの
    あの人やこの人をモデルに造ってきたんじゃないかな。

    先日、スルガ銀行の不正貸付により経営者が代わった。
    ああいう組織内のおかしな空気って、決して珍しいことじゃない事だと思う。
    零細企業では規模が小さいだけで誰かに我慢をさせ続けて
    なんとか凌いで居るのが多くあろうと思う。
    会社の規模が大きくなると三菱自動車や神戸製鋼の様なことになってしまう。

    私にはそう思えてならない。