のウィキペディアのページを読んでいて、
情報量が多くて困るのだが、とりわけ兵器の名称に困る。
そこで、以前全部コピーして、要所要所の文章に色をつけたり
師団名には出身の地域を入れたり再編集していた。

中でも兵器だけども、絵がないと辛い。
ミリタリーヲタクでもないと中々ね。
バイクやトラックの話をしていれば、漠然とトラックとかじゃなくて
いすゞのギガだとかNinjyaがGPZ900Rかそれ以降のモデルのことか、
明示しないと話が進まないということはあるので、個別名称は大切なんだ。
ただ、知らない分野のことは辛い。
威力や当時の恐怖感とか、書かないと伝わらないということは
経験者や調べた書き手なら当然ありますよ。

そこでAmazonからプラモデルやスケールモデルを探して挿入して見た。
これが我ながら上手くいったと思っています。

ウィキペディアのフルコピーをこのブログに載せていいのか迷う。
人名は何度も出てくるが苗字だけになったりしてよく分からなくなる。
そういう点に変更を加え、年齢を付け足した。
年齢から察する対人関係も分かりやすくしたので読みやすいのだけどな。
それに近いことは既にやっているのだけども、公開していいものやら。

とりあえず、ページの上から順に商品リンクをコピーしたので貼りました。
ウィキを読みつつ、傍らでこの日記を開いてると兵記名は分かりやすいと思います。






第一次ノモンハン事件

5月11日、12日

係争地では満州国軍とモンゴル軍がパトロールしており、
たまに遭遇し交戦することがあった。
5月11日、12日の交戦は特に大規模なものであったが、
モンゴル軍、満州国軍がともに「敵が侵入してきたので損害を与えて撃退した
と述べているため、真相は不明である。

第23師団長の小松原道太郎中将(1886生52歳)は、モンゴル軍を叩くために
東八百蔵 中佐(熊本師管区)の師団捜索隊戦闘斥候を任務とする機動偵察部隊
と2個歩兵中隊、満州国軍騎兵からなる部隊(東支隊)を送り出した。

15日

15日に現地に到着した東支隊は、敵が既にいないことを知って引き上げた。
しかし、支隊の帰還後になって、モンゴル軍は再びハルハ川を越えた。

5月13日

5月13日に飛行第24戦隊(第9飛行団:橋本秀信少将 )は出撃命令を受け、
18日以降1個飛行中隊をカンジュル飛行場へ進出させ哨戒にあたらせた。
5月20日に第一中隊鈴木中尉らがハルハ上空でソ連軍偵察機1機を撃墜し
初戦果をあげた。







しかしこれまで、日本軍が兵力を出してはモンゴル軍が退去し、
日本軍が去ればモンゴル軍が舞い戻るといった
『ピストン方式』の兵力派出方式で際限がない戦いをしていると、
第23師団参謀長大内大佐から状況報告を受けた。

関東軍作戦参謀辻政信少佐(37歳)は、山県支隊出撃の方を聞くと
こんな方法では際限がない、何とか新しいやり方を」と考え、
軍司令や他参謀の同意を取り付けると関東軍参謀長名で
ハルハ河右岸に外蒙騎兵の一部が進出滞留するようなことは、
大局的に見て大なる問題ではない。暫く静観し、機を見て一挙に急襲したは如何

という電報を打った。

この時点で関東軍は大本営の方針通り、日ソ間の紛争については
不拡大の方針であったのでこのような自重の指示が行われたが、
小松原道太郎中将(52歳)はまったく意に介すこともなく
5月22日の日記に
山県支隊は出動の直前なり。今さら其の出動を中止すること統率上出来難し。
防衛司令官の遣り方異議ありとて軍が制肘すべきにあらず

と書くなど開き直った。

それでも小松原道太郎中将(52歳)は関東軍の指示に一旦は躊躇し、
3日間部隊を待機させたが、5月25日に戦機到来と判断し部隊に出撃命令を下した。










7月2日から3日

吉丸清武大佐連隊長率いる戦車第3連隊(福岡県久留米で編成)は、
歩兵支援のために夕刻18時15分より前進開始、
ソ連軍砲兵陣地の撃滅を目指したが、降りはじめた雨が目隠しとなり、
20時ごろに最右翼を進む第1中隊が砲兵陣地に突入成功し、
野砲2門撃破、2門を捕獲した。

しかしピアノ線鉄条網に引っかかって行動不能となった
装甲車2輌が対戦車砲の直撃を受け撃破された。
第4小隊長の古賀康男少尉は撃破された九七式軽装甲車の車載機銃を下ろして、
包囲したソ連兵相手に戦い、激闘1時間30分、
最後は拳銃まで撃ち尽くして戦死している。



連隊長の吉丸も新型の九七式中戦車に自ら搭乗し攻撃の先頭に立って
装甲車や野砲を撃破したが、機械化部隊とは名ばかりで、
十分な自動車が無い歩兵第64連隊(熊本 第23師団)
輓馬が引く砲兵隊は戦車に付いていくことができず、
折角蹂躙したソ連軍陣地を戦車単独では確保することはできないため、
後退を余儀なくされた。

 安岡支隊 安岡正臣中将(52歳 第一戦車団)
は日中はソ連軍の砲撃が激しいため、夜襲を行うこととし、
戦車第4連隊(千葉県習志野で編成)は7月2日から3日の夜間に、
戦史上初のまとまった戦車部隊での夜襲となったバルシャガル高地攻撃を行った。

暗闇と雷雨にまぎれて突入した戦車第4連隊
八九式中戦車9輌、
九五式軽戦車28輌、
九四式軽装甲車3輌の内、
日本軍の損失は95式軽戦車1輌に対し
(行動不能となったが回収できず放棄、後にソ連軍が鹵獲)


ソ連軍戦車2輌・
装甲車10輌・
トラックを20台・
砲多数を撃破し、
ソ連軍防御陣地の奥深くまで突破するなど活躍を見せている。


ハルハ河周辺を巡る7月の戦いで、ソ連・モンゴル軍は合計で
452輌戦車・装甲車を投入したのに対し、
日本軍が投入した戦車・装甲車92輌五分の一の数であったが、
この時点でハルハ河東岸に配備されていたソ連・モンゴル軍は
3,200名の兵員に、
122mm榴弾砲8門を含む重砲・
野砲28門、
対戦車砲7門、
装甲車62輌、それに
第11戦車旅団から分遣された
戦車30輌と、
攻める安岡支隊の兵力のほうがやや勝っていた。

日本軍による戦果判定ではその内300名の兵士を死傷させ、
20輌の戦車と多数の砲を破壊しており、
ハルハ河東岸のソ連軍陣地は相当に弱体化していたが、
東岸のソ連軍陣地を援護できる位置には
152mm榴弾砲12門、
122mm榴弾砲8門、
76mm野砲・
連隊砲14門が配置されおり、

また予備戦力であった第11戦車旅団自動車化狙撃兵連隊
装甲車旅団タムスク近辺から戦場に急行しており、
早急にソ連軍東岸陣地を攻略する必要があった。

前日、ソ連軍の野砲陣地を襲撃し大戦果を挙げていた
戦車第3連隊(福岡県久留米で編成)は、
翌3日の日中にソ連軍陣地に正面攻撃をかけた。
途中で遭遇した装甲車隊を殲滅し、
反撃してきたBT-5や装甲車計20輌との戦車戦で、
2輌の八九式中戦車を失いながら3輌のBT-5を撃破し撃退したが、
やがて防衛線に近づくと、巧みに擬装された対戦車砲の激しい砲撃を浴び、
損害が増加していった。


また陣前に張られたピアノ線鉄条網に履帯を絡めとられた戦車は
行動不能となったが、そこを戦車と対戦車砲に狙い撃たれ、
連隊長の吉丸大佐の搭乗する九七式中戦車が撃破され、吉丸は戦死した

ソ連軍戦車も加わった集中砲火の中で、日本軍戦車は次々と命中弾を浴びたが、
日本軍戦車の多くがディーゼルエンジンであり、
命中弾があっても容易に炎上せず、
装甲は薄いながらも予想外の打たれ強さを発揮した。


世界で唯一走行可能なチハ!ロシアの九七式中戦車(新砲塔チハ)


それでも日本軍は19輌の戦車を撃破され、撤退を余儀なくされた。
防衛していたソ連の連隊指揮官は初の大規模な日本軍戦車攻撃を撃退し、
司令部に喜びのあまり
「日本戦車を食い止めました、奴らは次々に燃え上がっています。
ウラー(万歳)」
と興奮した報告を行っている。
この戦闘は後に『ピアノ線の悪夢』と呼ばれることとなった。

4日

3日に撃破された日本軍戦車の多くは回収され、後日に修理され部隊復帰したが、
4日の時点では戦車第3連隊は戦闘力を喪失しており、
戦車第4連隊(千葉県習志野で編成)のみとなった日本軍戦車部隊は攻勢を取れず、
逆に増援が到着したソ連軍戦車・装甲車部隊の執拗な反撃を受けることとなった。

4日午前には戦車・装甲車19輌、対戦車砲数門と歩兵500名のソ連軍が攻撃してきたが、
戦車第4連隊はこれまでの戦訓を活かし、装甲の弱さを補うため、
砲塔のみを丘の稜線上に出して砲撃を加えた
乗員の練度は日本軍が圧倒的に上回っており
数も主砲の威力も勝るソ連軍戦車に次々と命中弾を与え、
装甲車2輌と対戦車砲数門を撃破し撃退している。
日本軍の損害は八九式中戦車1輌の損傷のみであった。

午後8時にも戦車5輌と歩兵の攻撃に対し2輌の戦車を撃破し撃退すると、
午後9時には、戦車第4連隊の総力でハラスティン川河谷を攻撃し、
ソ連軍戦車4輌を撃破している。


7月5日6日

翌5日も執拗なソ連軍の混成部隊の攻撃を何度も撃退したが、
6日になると更に数を増したソ連軍から、夜明け直前から断続的に猛攻が加えられた。

それまでの激闘で戦車第4連隊は、


まで戦力が減っており、
ソ連軍から鹵獲した対戦車砲まで戦闘につぎ込んで、
ソ連軍の攻撃があるたびに数輌の戦車や装甲車を撃破し撃退し続けたが、
第4連隊の損害も大きく、八九式中戦車は全滅、九五式軽戦車も5輌が
撃破もしくは損傷し、戦闘力が著しく損なわれた。

その状況を見た安岡正臣中将(52歳)支隊長より、6日の午後4時に
後方支援部隊の位置まで転進し、以後の行動まで準備せよ
との命令が下り、連隊長の玉田は命令通り転進して
今後の出撃に備えることとしたが、

7月9日10日

7月9日には戦車の完全喪失が30輌に達っしたことを知った関東軍が、
このままでは虎の子の戦車部隊が壊滅すると懸念し
7月10日朝をもって戦車支隊を解散すること
との両連隊に対する引き揚げを命じた。

小松原や安岡はこの命令を不服とし、現地軍首脳と関東軍司令部で
ひと悶着起こったが、ノモンハンでの日本軍戦車隊の戦績は
ここで終局をむかえることとなった。

戦車第3連隊は343名の兵員の内、吉丸連隊長を含む47名が
戦死し戦車15輌を喪失、戦車第4連隊は561名の内28名戦死し
戦車15輌喪失し戦場を後にした。

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T-26の改造モデル

日本軍の渡河作戦とハルハ河西岸での戦い

小林兵団は第一次ノモンハン事件の戦訓を活かし、
対戦車戦闘班として志願者により肉薄攻撃隊を組織していた。
肉薄攻撃隊はサイダーの空き瓶にガソリンを詰めて作った火炎瓶
1名あたり2~3本持っており、導火線に火をつけてソ連軍戦車に向かって投げつけると、
100km以上の連続走行と炎天下の暑熱で高温となっていたソ連軍戦車は容易く炎上し、
やがてガソリン燃料に引火し弾薬が誘爆を起こしたり

たまらず飛び出してきたソ連軍戦車兵が日本軍に撃ち倒された。

また九四式37mm速射砲も威力を発揮し合計16輌の戦車を撃破した。









動画リンク

ハルヒン-ゴルの復元(1939年)

Моторы войны. 2014.


В Подмосковье состоится 4-й Международный слет военной техники "Моторы войны". Примут участие 120 единиц действующей техники из 16 стран-участниц Второй мировой войны.

Военно-технический музей будет находиться под открытым небом, посетители смогут своими глазами увидеть технику ВОВ. Танки, автомобили и мотоциклы будут и советскими, и немецкими, и японскими, и итальянскими. В «Моторах Войны»  участвуют более 1000 представителей военно-исторических клубов, которые организовывают масштабные реконструкции  боевых действий с участием аутентичной стопроцентно оригинальной техники: «План Барбаросса» (1941 год), «Бои у реки Халхин-Гол» (1939 год) и «Высадка союзников  в Нормандии» - к 70-летнему юбилею открытия Второго фронта.

Слет будет  проходить 21-22 июня в районе села Ивановское, городской округ Черноголовка Московской области, возле Военно-технического музея.


郊外では、第4回国際軍事機器会議「Motors of War」が開催されます。第二次世界大戦の参加者 - 16カ国からの120台の現存する兵器11が参加する。

軍事技術博物館は野外で、訪問者は第二次世界大戦の技術を自分たちの目で見ることができます。タンク、自動車、オートバイはソビエト、ドイツ語、日本語、イタリア語になります。 「プランバルバロッサ」(1941)、「ハルヒン・ゴル川での戦い 『(1939)と』:本物の完全オリジナル技術と戦闘の大規模な再構成を整理軍事歴史クラブの1000人の以上の代表者を含む「モーター戦争」ノルマンディーの盟友の着陸 " - 第2戦線開幕70周年を迎える。

ラリーは、軍事技術博物館の近くに、イヴァノヴォ地区、都市地区、Chernogolovka、モスクワ地方の村で6月21-22に開催されます。


Реконструкция битвы у реки Халхин-гол / Reconstruction of the Battle of Khalkhin gol
ハルヒン河の戦いの再現  / ハルヒン-ゴルの戦いの再現




Бои на Халхин-Голе / Battles of Khalkhin Gol
ハルハ河の戦い / ハルヒン・ゴルの戦い


Халкин - Гол. "Необьявленная война" РККА СССР разгромила армию Японии, 1939, кинохроника
ハルヒン - ゴル。 「発見されなかった戦争」ソ連の赤軍は1939年の日本軍隊を敗北させた

 Халхин-Гол: 75 лет тишины.
ハルヒン・ゴル:75年間の沈黙。




Моторы войны. 2014.
戦争の車輌.2014
 

"Мотор войны" реконструкция Халхин гол СССР-Япония 1939г.
"モーター・ウォー" ハルハ河戦争の再現、 ソ連 - 日本、1939年
 

Слет Моторы Войны. Реконструкция боев при Халхин Голе. СССР - Япония 1939 г.
戦争の自動車の会合。 ハルヒン河での戦いの再建。 ソ連 - 日本1939
 

Реконструкция битвы за Халхин Гол
「ハルヒン河の為の戦い」の再現
 


昨夜はNHKスペシャル ノモンハン 責任なき戦いが放映された
それで当ブログの閲覧数も増えていました。
ツイッターの検索をかけてみると、


失敗の本質
戸部 良一
ダイヤモンド社
2013-08-02


この本の事をあわせて語ってる方が多いようでした。
私は武田鉄也先生のラジオ番組で知った。
全然リアルタイムでは知りませんでした。

インターネットの時代になりその本質が何か、
多分沢山の片が気づいてきている。
その人物達、組織、或いはコミュニティの中で障害となる彼ら、
その事をはっきり認識し、更に口に出来るかというのは中々難しい。
偏見だとか、一歩間違えば差別を行っていると非難されるだろうから。
旅団ではそれを今後も随時書いていきます。



辻政信の信じた「歴史的事実」

科学的、論理的な議論を無視し、怒号を発し精神論で座を治める。
弱気・弱腰を非難し、面子を重んじ「負け」を認めない。
冷静な分析能力を欠く。
今もあちこちで見受けられる図。
ツイッターやFBで見るような罵倒叱責と嘲笑。
 

戦争と人間 第一部 運命の序曲


戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河
 

戦争と人間 第三部 完結編



『ガールズ&パンツァー 劇場版』本編序盤 大洗市街戦 一部配信



ガールズ&パンツァー 劇場版
有料 フルサイズ
https://youtu.be/zFhzB2uc0pw