ドレージが乙仲に待機料金を請求するとか、運賃の値上げの話が聞こえるこの頃です。
いい流れだ。ドレージが乙仲に待機料金を請求。乙仲は増加コストを荷主に請求。

1、安価で済む早い港、或いはヤードの選定から船会社を選出。
2、荷主側からの船社か船社が顧客であるコンテナターミナルの損害賠償。

ドレージがヤードに請求するというのはお金の流れ的に厳しいからね。

尤もこれが、料金叩きの酷い荷主や乙仲だけ行われるなら、あまり意味が無い。
実質的な値切り乙仲切りという事じゃないと良いけど。


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大阪ではこういう事例もあった。今どうなっているか分からない。
だれか詳しい人が書いてくれるとありがたいのだけど。
上記の流れのほかに、こういう風に業界が腰を上げるのもありだ。



今年になって、ツイッターを見ていると幾つかのこの手のツイートで
関係者からのリーク話が回ってきていた。
乙仲さんやドレージの配車係りとか、その辺からですね。
ビジネスの話で彼らの守秘義務とか、
どの辺まで拡散させたいのか不明なので頼まれたわけでもないし、出処は明記しません。
噂話と云うことでお願いします。


東京港の上組のターミナルの引越し以降、そんな話が見え出したような気がします。
まずは、ドレージから乙仲への運送料金の引き上げの通知が始まる。
東京港では横浜港よりも、一台のトラクターヘッドで搬出搬入をするコンテナの数は少なくなる。
これは待機時間が長い為だ。
先月7月末では青海公共A1A2の長時間拘束の阿鼻叫喚がツイートログをにぎわせていた。
並びに付いてからアウトするまで7時間というのはざらで、
21時過ぎの東京港ライブカメラの青海公共待機場の映像には
まだ2列が残って居るのを私も確認した。

私はちょっと複雑な思いがあるのだけどA1山九の場合、
地上勤務員には交代要員は居ないかもしれない。
彼らもまたブラックな環境で働いている。
山九のシフトは7時に始まり22時、23時はざらにあるけどバンプールの要員の交代はない。
一昨年は金曜に22時間くらいやって、翌日の土曜日も営業してた。
私達ドレージが雇われて行くのもウンザリだが、彼らを見てると厳しい言葉はいいづらくなる。

海上コンテナのターミナル運営会社の経営サイドに問題がある。
それはどのヤードに対しても言える。

もう、用地運用を港全体で考えて、メガターミナル化とオートメーション化が避けられない。
日本全体の経済のありようから考えても、人海戦術や精神論で苦境を乗り切ろうという発想が成り立たない。
今までの経営手法、経営計画の延長線上に将来を据え置いて、
外国人研修生を数百人単位で送り込もうというのだろうか。

この頃本牧のイオン周辺の外食店やコンビニは中国人ばかりで、
イオンの銀行などに行って歩いてると中国語の会話が耳に多く入り
新しいチャイナタウンの様な錯覚を覚える。
いや、もう21世紀の新しい横浜のチャイナタウンなのかもしれない。
まだ慣れていないだけで、実情認識が遅れているのかもしれない。

ウチの近所、郊外のベッドタウンのコンビニでも、
中国人を意識した店内放送やアルバイト募集が増えた。
人間が足りないとは思えない。
働きたいけど、働きたい会社がないから就業出来ない、そう感じる。
ハローワークに行くと人は沢山来ているんだ。
だけど、いい仕事がないから生活費の尽きるギリギリまで
我慢していい会社を探す。しかし、いい会社は人が辞めないので募集が出ない。

この頃の日大アメフト部の問題、ボクシング協会の問題を見ていても
例の問題と結びつけて考えてしまう。
暴言を吐く、癇癪を起こす、威圧して、嫌がらせをして、人を支配しようとする人達だ。
文章によるコメント発表しない。理由は簡単だ、文章が書けないからだ。
そして、そこに至るまで、Liveに大声で怒鳴るとか「ダダをこねて機嫌をとってもらう」事になれ、
きちんと説明したり話し合うという作業を行ってこないで「乗り切れて」しまってきたからだ。
感情的な良い表情を出し同情を集め被害者の正義を主張し、怒鳴り散らす、
そうして感情を子供の様に剥き出して問題をすり替え「情に訴えて」生きてきたんじゃないか? 
それしか出来ないんじゃないか? 
だから自信満々に「生放送なら取材を受ける」なんて事を言えてしまう。

「こいつ、童顔だな。」
ニュースを見ていると、よく私はそう想う。
詐欺師や堅気じゃない奴や通り魔などに多い。
老人に対してもそんな感情を先日抱いた。
コミュ障は、やっぱり精神的な部分が顔にでる。
これは、自分が接してる人達の観察の観想だ。
笑顔というか、ニヤ付いてるというか、取っ掛かりがいい場合が多い。
話が分からなくても分かってくれたフリをしてくれるから、
可愛げげあるように感じてしまう。
部下にしているうちはいいのだけど、彼らがじゃあ他所で何をやっているかというと
上の人に対するのとは全く違っている。
目下には徹底的に厳しい。
ヒエラルキーを勝手な価値観で構築して、粗探しばかりやってる。
何か失敗でもやれば徹底的にそれっぽい理屈を並べて人を陥れていく。
日本の多くの場所で、こういう意見腰ぎんちゃくでゴマすりばかりと
「皆が言ってる」ために悪口を流布する事に一生懸命な奴が出世してしまう。
機嫌が悪くなって暴言と暴挙を繰り返すのをなだめる為に、
彼を中心に采配をして行く。
その結果、ありえないような我侭な人物が組織の中枢まで行ってしまう。
その過程で、業績をまともにあげて行く人間は潰されて行く。
組織は、末端から中央まで壊死して行く。
トップダウンの命令系統は感情論が支配し、見せ掛けの数字の追及に及ぶ。

彼の場合は個人崇拝を求めるなんていうことは、そうとしか考えられない。
有史前の集団で行う生産活動と戦争行為では精神性の低さも合ったろうから、
そういう個人崇拝からの王権は集団にとって有効だった場合もあるだろう。
現代は違う。
カルト宗教の教祖と何も変わらない。

それが、企業の寿命。50年もしたらガタガタになってしまう一因ではないだろうか。
最初の人選も、学歴のブランドと成績の表面の数字評価しかない。
人をまとめたり、ビジネスを昇華発展して行くのにそれが必ずしも大切でないのは
多くの人には明らかだ。

港湾の会社の場合、縁故や世襲的な人事採用が幅を利かせる。
それは更に、問題だ。
難局を乗り切るとか未来を見据えるとか、そういう能力とは全く無縁でいいからだ。
前例にしがみついて、それを大きく逸れないようにしていればいい。
それを達成する為に、管理職啓発セミナーなんてのに行くと、
徹底的に揚げ足を取って、恫喝し、威圧し、言うことをきかせるのが
一人前の経営陣だなんて事を洗脳されてくる。
それが出来ないと「認められた大人」にはなれないという強迫観念を植え付けられて。
まずそれが、他人から追認を追い求めるのがそもそも大人なのかという事に疑念を持てないような
幼稚な人間がそれを信じ込む。

いい年になって自分に自信がない。
常にいい成績を上げても、「もっと上が居るのにいい気に成るな!」
褒められずに駄目出しかされず、ヒエラルキーの上を目指すだけを
叩き込まれた結果、そうなって行くような気がする。
「二番じゃダメなんですか?何故1番でなければならないんですか?」
それは皮肉だけど、でも真だ。
理由も目標もなく、1番を目指せと育てられ、1番に何の意味があるかを考えたこともない、
そんな人は大勢居る。
トップランナーは一握りだが、1番が目標なら1番になれば満足できる。
孤高の孤独と云うやつもある。それを抱え続けるのはストレスが強い。
走り続けるには、そもそも競争とは無縁に専門性を追求することが大切だろう。
その過程で1番の時期があるだけだったりするだけだ。


少なくとも、1番を目指す2番以下は、1番の出した結果を真似ようと想っていても
1番の仕事には絶対に追いつけない。1番の見据えた遠い目標を同じように追いかけない限り
追いつくことも抜くことも出来ない。
もしそれが見えているなら、1番を目指す理由を説明できるはずなんだ。

それは、ナンバーワンではない、オンリーワンであるとも言える。


私達はいろんな問題を前に、何を目指すのか。
前例や誰かを追いかけるのでは、きっと解決には向かわない。

コミュ障を観察していると、「自分に合わせてくれる誰か」を追い求める。
共通の価値観を持ってる確認が多い。会話で意思疎通が出来ない分、
呑みニュケーションで共に過ごす時間を増やし擬似的な共感を共有しようと頑張る。
要するに、仕事では成果が出ずに、無駄なレクリエーションを会社の延長線上で行うといえる。
それは生産性が著しく低い。
8時間内で全部仕事を終わらせる。その為に必要なのは確実なコミュニケーション能力だ。
海コンだったら業務無線の応答だけで全部成立する意思疎通の能力。
それを獲得するのに暗記に時間を浪費してていいはずがない。
学生時代から人と接する能力を伸ばし、文章を読み書きできる能力が必要になる。

恫喝し威圧する、その行為は人同士が一緒に居た場合は有効だ。
ところが、インターネットで文字だけで意思疎通を図ろうとした場合は全く通用しない。
インターネットの普及と云うのは結局、そういうコミュニケーション能力の有り無しを
如実に露呈させてしまう。

ニュアンスで分かってくれよ~、わかるっしょ~が通用しない。
言いたい事はハッキリ書け。相手の言ってる事を理解する読解力を身に付けろ、
さもなくばどうせ会話もその次元だから相手にしてられない、さようならと云うことなって行く。
コミュ障の云う所の「空気を読む」は顔色を読むということだ。
顔の表情の喜怒哀楽を読み取るだけで、会話や状況は判断できない。
ツイッターでは、単純な喜怒哀楽の短文には反応できる。
抽象的だったり、絵文字を減らして行くと俄然反応は鈍って行く。
定型文のあおり文句はつかえても、発想した言葉は出てこない。

コミュ障の彼らには自分に合わせてくれるお世話係りの様な人間が必要になる。
我がままを聞いてくれなければ仲たがいして行く。
私はミュージシャンが海外ミュージシャンとならそこそこ上手くやれるというのは、
そもそも会話が難しくて、コミュ障であっても自分から積極的にあわせようとするか
全く逆にあわせて貰えるからじゃないかと邪推している。

だから日常でもネットでもこの頃では常に無愛想を私は目指している。
私はあわせてやらない、そういう強い意思表示がコミュ障の多い場面では必要だ。
私に限ったやり方です。それをやることで別の問題が発生するからね。

そういうことを鑑みて、カルロス・ゴーンは日産を変える事が出来たといえる。
全くメンタリティーの違う外人社長で、自分たちの常識など通じる期待は持てない相手だ。
派閥の重視やエコヒイキ、慣例の重視した「気持ちを察してくれる上司ではない」批判も通じない。
誰もが外人に「合わせて行かなければならない」意識が最初からあっただろう。
その組織の継続して持っていた価値観を重視しない人で、
それに有無を言わせない誰かが硬直した組織には必要なんだろう。
でもそれは堕ちるところまで堕ちないと実現しないかもね。

港の仕事の改革に必要なのはそういうものだ。
それはどの業界にも共通して言える。

ナンバー1に成る目標がある人ではなく、必要な目標を達成しようと云う人。
慣例に縛られず、誰の面子も潰す人。面子で配慮してるなら絶対に仕事はつぶれる。
要点整理が出来て、コミュニケーション能力があり、合議で組織を動かせる能力のある人。

失敗の本質
戸部 良一
ダイヤモンド社
2013-08-02


敗戦国日本の軍人の失敗人事を見ても、それの逆をやっていた。
作戦失敗の失敗の評価をまげて面子を重視し、更に昇進人事まで行っていた。
無能な作戦立案者や指揮官ほど士官学校の成績はトップクラスであったという。





日活『戦争と人間』Youtube

多分、どこの企業も外部から人を入れないとだめになっていく。
ホールディングス体勢はその逆に経営者一族の保身を優先し、
情況を更に悪化させて行くだけのように想う。
現場を知らずに怒鳴ってるだけなんだからさ。
その現場の待遇はどんどん悪くして、利益の上澄みの一極集中のみに専念する。
現場を知らないのだから投資をどこに行うか見えよう筈もない。
だから、投資をされない資金が増えて行く。
数字が増えることに安堵感を覚える。
グループ内の末端の会社なんて他人事にしか感じない。
責任から逃れ、勝負を捨てて高みから笑う人であろうとすればそうなる。
既得権益のあるものだけがそこから高みの見物をする。

彼らは1番を取った先の事は教わらずに、発想する事も出来ない。
残高の増えた数字に喜ぶが、どう評価して良いのか知らない。
詰問されたら投資の有効性を怒鳴り散らすが、
パチンコの射幸心を煽る文言と同じで中身がない。
儲けたらまたパチンコに行くだけだ。
そのパチンコを繰り返しやるのと同じ様に
マネーゲームが繰り返される。 

現場は更に窮して行く。
そんな悪循環に見えてならない。


全部、ただの運転手の思い込みですよ。
実例やデータを殆ど入れてないし、コミュ障がどうとかはわかる人にしか分からないしねぇ、
困ったもんだよ。
でも、ここまで読んだ人ならあるでしょ、その事例を知ってるって。
その手のことは今まであまり誰も積み上げてこなかった。

学者とか職業で分析や立案を生業にしている人は、
こういうことを書いたりまとめていくのは非常に厳しい。
常に差別問題と絡めたりした人格批判に発展しやすい。
生業を失う可能性が大きくなる。
取引先の誰かの怒りを買ってしまう。

だから、まずは個人単位で告発や観想をテキストにして積み上げて行く作業が必要だろう。
ビッグデータを形成して、それを科学的に研究して行く下地が出来上がるように。
インターネットはその作業のためにあるようなものだ。

コミュニケーションの革命は人類の精神を次の段階に押し上げて行く。
それにより、生産性の管理が成され枯渇する資源と増える人口の中で
ロスを減らし飢餓を回避していく文明へと導くはずだ。

ICTは精神性の改革と生産管理を実現できるか?
楽観的に構えてそうなるだろうと言ってるだけでなく、
寧ろそれを目指さなければやがて大きな破綻を迎えてしまうと私は思います。

そして経済の改革などと云うと国家の単位で行うような事に思いがちだけど、
身の回りの会社やコミュニティの小さな改革の集合がそこに行き着くのだろうと思います。
個々人の経済活動の成功や向上が、全体として国家の経営を改善する。

中世以降、目指した人類の社会のモデルの一つは資本資源を消費するピラミッド構造だっただろう。
人が誰もが幸せに生きるということはどういうことだろうか?

私が主人公であり、あなたが主人公であり、彼や彼女も主人公であると思える世界。
インターネットはそれを垣間見せているのかもしれない。
Web構造だ。

小さなコミュニティが隣同士と繋がり地球を覆っていく。
どこかにメインフレーム・中枢(特別な主人公、王権)があるようなものではない。
それは本来、文明が発展する前の小範囲の交易の繋がりで、
オリエンタル世界から東の果てまで文物が伝わった時代の人々のあり方と同じかもしれない。