研修制度と云うものがある。

それを行ったら、何かについて習得したことになる。
特に管理職というような場合に多い。
この運送業だけでなく、いろんなものにある。
昔の友人はシステムエンジニアだったが、管理職側につくにあたり
何度も何度もそうしたものに参加してた。
宿泊という場合も多い。
日本では、そういう研修の産業がある。

そして現場に帰ってきて、管理するに足る人物になったという設定だ。
では管理できる人になるかというと、そんな事はない。
「言い訳」を用意しているだけだ。

元の人格や性能が突然上がるはずがない。
好きでもなく「詰め込み教育」を受けるので現実問題、
積極的に他人や情況を分析して「自分から意見を言う」「自分から手を動かす」様なことはない、
そういう風に見える場合が多い。
何か問題があった時に他人の責任を責め立てる事は出来るけど、
自分の責任を見直すことが出来る人がどれほど居るのかな。
あまりそういう人は多いように見えない。

リーダーシップというのは、自ら発する積極性だ。
人物Aが何歳になったからそろそろ役をつけよう、と云う場合に
そうしたリーダーシップがあるか否かは問わない。
だから、無能な管理職が誕生してしまう。
リーダーシップは資格取得するようには身に付かない。
人選の間違いがそこにある。
仕切る気に溢れていたとしても、他人の情を読むとか
実績分析が劣れば、やはりダメだ。

要するに、それらは育成するようなものじゃない。

突出した人が居なければ、論理的思考があって議論が出来るような人で組織を営む事が一つの解決策ではないだろうか。
民主主義であるとして多数決を取る場合があるけど、多くの場合で間違いなのは
そういう議論に参加する人の多数決ではないことだ。
単に頭数で決を取りまとめる。そういう場合、感情論が優先することが多い。
怒号を発する人に威圧されたり、談合がある場合、多数には意味がない。
でも、パッションとか直感で正しいこともあるので、それを全部否定できるかと云うと
なんとも難しいとしか言いようがない。

ただ、これだけはいえる。
民主主義はヒューマニズムだ。
「個人」が自発的に社会に参画し、社会に対し責任を持つ。
その個人の集合体こそが社会だ。
与えられた役職や資格が大切なのではなく、自発性だ。

現場で接する人達との係わりで、また自社の中での係わりで、
ライブで話をしていておかしい人が沢山居る。
会社を退職し、自分を定義できなくなる人もいる。
誰かに自分の価値を設定してもらって生きてる人というのは、
話をしていて中身を感じないし、仕事が先に進まない。
同じ組織の中の盾の関係なら、
「分かってもらう」「あわせてもらう」「機嫌をとってもらう」
そういう人に「求める」「助けてもらう」事が可能だが、
他組織の人とのかかわりではそういう「我侭」は通用しない。
それでも、それを押し通そうとし、事態はこじれていく。
あなたの会社の○長だとしても、私の会社の上司ではないし、
その役職があっても手も動かさず、知識もなく、現場で役に立ってなくて
話も通じないなら、そこに居るだけで迷惑だ。

この数日、そんな事をまた感じていた。
子供の時からエリート意識を埋め込まれたり、勉強を頑張ったとしても
現場で、情況発生時に、立ち居振る舞いが出来るかどうかは全くの別問題だ。

私は「よく見るし、よく聞くし、よく考える」ことを目指す。
いつもそれが出来るわけじゃない。努力目標だ。
「よく考える人」は非常に多い。独り善がりに成りがちだ。
観察とか人の話を理解しようとしないで、自分の考えばかりを言ってないだろうか?
しかも、学校で教わったような入門レベルの知識だけしかないのに
誰かに何かをいえるのだろうか。
高圧的な態度で接してこようとする人は、はじめから話を聞く気がないようなことが多い。
そろそろ、そういう場面で時間をロスするのはやめにしたい。

どこかに現場に行けばわかる。担当者が仕事が出来る人かどうか。
それは名刺を見て判断することじゃなく、言動で直ぐに分かる。

組織という器のブランド力が合ったとしても、積極性のある「個人」でなければ私は相手にはしたくないな。

実力の伴わないエリート意識と差別感情、それはこういうネットで匿名で意見を述べるとよく分かる。
名無しさんとかは所属する会社のブランドが使えない。真にその個人の言葉の力が現れる。
肩書きがあれば、高圧的な態度も理解出来なくもないが、肩書きを使ってない以上何を根拠にしてるのかを説明する必要がある。

説明し意見を述べる。
その総合的な力がコミュニケーションに大きな影響を及ぼす。
「分かるでしょ?」
そんな話文句を差し挟むようでは、子供とみなされても仕方ない。


ついでに書いておくと:
ブログはSNSではない。
コメントするのは自由だが、そこに「自分のアカウント」を普通書かないし、
自分の肩書きも書かない。書くのは剥き出しの自分の言葉だけだ。
ブロガーは自己表現するが、閲覧者は同じだけのことは出来ない。
両者のアカウントには対等の権限がないのだ。

書かれたコメントは自由に編集も出来る。
消そうがどうしようが、管理者の裁量のまま。
あまり管理者に甘えないほうがいいぞ。