笑いながら他人を踏みにじる。

大人は子供の所作を見て幼さについ噴きだすことがある。
子供はそういう所作を真似て大人ゴッコをする。
それが成人しても終わらない人が多く存在する。
大人は子供の運動神経が発達していないせいでコケたり
言動の子供らしさに笑うのだけど、それで心が傷つく子供が大勢いる。
子供は失敗をなじられたり責められたり決して笑われたくはない。
なにも大人は馬鹿にして笑っているんじゃないんだ。
でも、そんな言葉を使って馬鹿にする成人もいる。
子供は失敗した時には、それについて二度と触れて欲しくない。
次は失敗しないんだとおもっている。

でも、根本的に対応が間違っていれば同じ失敗をするのだから
大人はハウトゥーを教えようとする。
そこでその子供が受け入れるか受け入れないかだ。
だだをこねる子は、愛して欲しいだけなのだ。
受け入れる子はもしかしたら大人に成長するかもしれない。
発達障害を抱えていくかもしれないけど、私は前者を期待したい。
それは確定事項じゃない、その時点では。
反対の場合も同じだ。

失敗を続ける子の中で、もっと悪い情況の誰かの話、
誰よりはマシだといい始めた子がいたなら要注意だろう。
自分より大きな失敗が彼自身の失敗を上書きし、
自分に対する注意がそがれるというような思考パターンだ。
いずれ、イジメをやる側になって誰かの揚げ足を取ることに執念を燃やすかもしれない。
そして、大人がいつもその様だったように他人の失敗をあざ笑うようになる。
面白いかどうかではない、そうする事が大人であるとフォーマットされてしまっているのだ。
こういう子供に注意でもすると、激情にかられる。
自分は愛されるべき存在で自分こそ世界の中心であり、
世界は彼にかしずいてその正義と行いをたたえていかなければならない。
それなのに叱られるということは、受け入れがたいのだ。
絶対に自分は正しいのだから、他に別の誰かや何かが悪い必要性がある。
それに対しては論理を働かせる。だが、他人にはその思考を読み解くことは出来ない。
信じられないような犯罪をやっておいて、過去に偉い人が言ってたことだ、
あのヒトラーが言ってた、そんな事を言った奴がいた。

人を馬鹿にして、笑う。それが大人の世界である。
彼らはそうフォーマットされてしまった。
だから、私や他の大人が真剣に怒っているときは愛想笑いなんて入れたりしない。
ネットに書き込む文章にwや絵文字で笑顔を入れたりしない。
そう書いて、それが常識と云うことになると、その特徴はなくなるかもな。
FF14の時にそんな事があった。

状況を収めるために使ってた諌める為の文言が、
人を罵倒するのに転じて使われてしまったんじゃないか、
そう思う事が何度もあった。
チャットでも言ってたし、ロードストーンにも書いてた。
ただの思い過ごしなら良いけど。
 
 
人を馬鹿にするのが楽しい、そういう基本的な感情が彼らにはある。
また、同じように誰かを責めている時も大人の真似だ。
なぜか自分が責めていることに同意を求める。
確たる自信はなく、定型文や考え方を寄せ集めているだけで、
誰かが誰かを責め始めた時に熱くなって暴言を吐く。
みんなが言ってるから多分大丈夫だけど、信念がないから同意が欲しいのだ。

そういうことは一般的視点で見ると、
カルト宗教にハマル人や勧誘商法や、右翼や左翼を自称する人に多いと私は感じている。
うっかり彼らの言い分に反論すると、そういう思想とか信条が返ってきて
話がドツボにはまってしまい非常に厄介なことになる。
彼らは最早自信のない人ではない。それらが自信の代替として入り込んでしまっている。
勧誘商法なんて、見分けがハッキリしている。
その幾つかを私は肌で感じた事がある。
今にして思えば、以前から子供じみていた。
だからそこに自分からハイってしまうのだ。
そこから救い出すのは至難の業だ。
もっとも、それらの人が全部そのカテゴリーの人だというのは暴論に過ぎるとは思うけどね。
私がじかに接し得た経験則ではそうだということだ。

過去に同居人がいた。
彼女はコミュ章だった。
今まで書いてきたようなことはだいたい当てはまる。
彼女だけから得たことを書いてきたわけじゃない。
自殺をしようと手首を切る真似をするリストカットの真似事もよくやってた。
自分は特別なんだと言い張る。
容姿がよくなく性格が悪く頭も悪いが世界で最も優れた人であるようなことはよく言ってた。
選民思想の後継者であるような印象さえあった。
自分より可愛い子の事は常に悪口を言ってた。
そして笑う。
心底楽しいように笑う。

ちょっとまって、意味がわからない、もう少し詳しく言ってというと怒り出す。
「そんな事もわからないのか、馬鹿が」ということだ。
そのそんな事の程度であり、みんな知ってて、でも俺は分らないから説明して欲しいのに。
人を馬鹿するのは良くないよ、なんて話すと説教をされていると思って怒りだす。
彼女は「間違っていない」はずなんだから、それに異を唱える私は悪であり、愚か者だった。

少なくとも彼女は私と共感することを求めていた。
一緒に人を馬鹿にして楽しくなったりしたかったんだ。
俺にはそれが冗談でも出来なかった。
勿論、馬鹿馬鹿しくてそういった態度を取ることはある。
漫才や落語にあるようなトンチンカンなことをやってる誰かを笑うことはあるよ。
それをネタに人を面白がらせることもある。
そんな話なら笑ったかもしれないけど、彼女や彼らのいう人を馬鹿にする話は
彼ら自身や聞いてる自分もやりかねない些細なことだったり、
たいしたこともない失敗であったりした。

そういう彼らの場合、あまり話しのディティールがなくても結果、
馬鹿だろ、わかるだろ、に同意してくれる誰かが居ればいい。
そういう連中はやがて何も根拠がなくても誰かをターゲットにすると
何もしてなくても忌むべき悪者として振舞いだす。
遠慮なく八つ当たりしていい生贄だ。
それがイジメの構造だ。

私が彼らに同意しない、彼らにだめだしをする、だから
彼らにとっては「空気を読めない」「顔色だけで人を判断しない」
嫌なやつであり続けている。
亀を苛めている悪がきが居たら怒るって。浦島太郎みたいにさ。
空気を読む読まないの時限にない。
楽しい顔の顔色伺いなんてしない。

そういう私は彼らにとって非常に都合が悪いし、格好の的でも合った。
「多分あいつは○○なんだよ」
この台詞はよくあった。
人の悪口をいうのに根拠も必要なくなる。
多分何々だ、それに意味も無く同意する。
その場の空気がそうで、受け入れるのが不良少年や
コミュ障の人間の作り上げる特殊な力場だ。
事実無根の悪い噂はそうして流されていく。

やがて彼らも理由は説明できないがとにかく悪い奴、
「悪の権化」に祀り上げられる。
自分で流し始めた悪い噂なのに、
「みんなが言ってるんだぞ!」
と判で付いたように同じ台詞なんども聞いてきた。
こいつは気が狂ってる、精神異常がある、キチ○イだ
私は彼らに対して何度もそんな風に感じてきた。
とにかく誰かに悪い奴でいて欲しいのだ。
涙を流して泣くほどに。切実に。


彼女はしまいには私の周囲の人間にそれをやりだした。
気が付いたら全く意味が分からないが私は「悪者」だった。
そして私も彼女も彼らも、相互に友達達を失った。

彼女は癇癪持ちだった。
感情的になって八つ当たりしたり悪態をついたり
それが私にはいつも理解できなかった。
何に怒っているのか分からない。
徐々にそれは理解して行った。
時々、彼女は幼い子供なんだと思うようになった。

子育ての経験が無いのによく分かるね?
と言われることがある。
間違いなく、そういう事はやっていた。
ある時真夜中に叩き起こされた。
彼女は泣きはらしていた。
そして私の頬を数度平手で引張叩いた。
私もハタキ返すとこう言った。
「あなたみたいに私の思い通りにならない男は初めてだ」
彼女は何歳も年下でとても若かった。
どこでそんなセリフを覚えて来たんだろう。
いや、彼女の心底本心だったんだ。
生活から何から子供の世話の様に面倒を見ていて
家事も何も全部やっててこれだ、正気を疑う。
2度目は叩き返さなかった。
歯ぎしりして眠れないほど悔しくて悲しくて、
自分が可哀想でならない。
せめて一矢報いるために彼を叩きたいという気持ちを尊重した。

彼女は誰よりも優れているはずで誰にも支配的で
まるで最強の捕食者であるかの様に言いながら、
本来はか弱く常に庇護を要する「可哀想な子」
や「被害者」でも同時にあった。
弱者こそ正義、その正義はどんな振る舞いも許される。
ちょうど戦争被害を訴えて悪感情を振りまいてる一部の他国の人の様でもあった。
そして何もかも失った後に謝罪も何もなく庇護を求めて来てこう言った
「私はちっちゃなウサギなの」
私は絶望の淵へと落ちて行った。


それ以来、同じようなことは繰り返しある。
運転手なんてやってるのが悪いんだ。そんな人しか集まってこないんだから。
ご丁寧に自分に「不良」のルックスを与えたり、「わる」を演じたりしてる。
それが60歳を超えたって変らない。
彼らは人生の最初からそうで、終わるまでそうなんだ。

こうしたことは、ここだけではない。
社会のあまねくところに存在している。
だから運転手だから悪いということじゃない。
不可思議な政策決定や会社の行い、戦争、そんなものの中に時々同じような臭いを嗅ぎ取る。
アメリカ人とチャットしてて思うのは、日本よりイジメ問題は深刻かもしれない。
アメリカの場合、人種や宗教が多様な為、前述の左翼や右翼だというような
個人の思想信条のアイデンティティと混ざり合って見分けるのが困難だろう。
信念にヒューマニズムがあるか否か、それを問いただしてあるなら信条といえるかもしれない。
テロリストの中には暴論がエスカレートしていった結果、外国に行ってまで
俺らしさをもとめてるんじゃないかと思うような話も思い当たる。
日本人なら尚更で、どうしてそんなところに行こうと思うか誰だって理解に苦しむだろ。

私は何でもかんでも先入観でこんな事を誰かに当てはめてるわけじゃない。
事件で言えば、「重度の身体障害者が私を理解しなかった」なんて言葉が漏れてきたときだ。
現実に接してる人間ならその「言い訳」を聞いてから判断する。
言い訳と説明は違う。
「自分が何故その失敗をしたかなんてことじゃなく、
まず自分がどう正当で正論でものを考え、
正攻法でそれをやったかをお前は分かりもしないで説教してるけど、
馬鹿なんじゃないの」
こんな事を言われる。

彼らの言い訳はまず自分が正しいという所から始まる。
嘘をついてる様にも見えるが、そうじゃない。
自分が何かをせずに周りが間違っている設定を練っていく。
それが側から見れば誇大妄想にしか思えないことがある。

 

もう、今の私は係わらないように細心の注意を払うよ。
あなたを攻め立てて楽しく笑いたかったんじゃないんだ、
ただちょっと誠意を持って補助してあげようと思っただけなんだ、
決して悪気はないんだよ、Sorry

じゃあ、どうすりゃいい?
そんな彼らを相手にどうしろって言うんだ?
その答えはまだない。

何かが起きてて、それがが真にまずいと思ったら阻止するようには動く。
暴論と暴挙と暴言が溢れるこの世の中で、
少なくともインターネットは意思疎通の革命を起こすイノベーションなんだから、
私には何か出来る事がある。
今起こっているのは反革命なのかもしれない。
意思疎通の改革を妨害し、それ以前より悪くしようと何かが働いているのかもしれない。
日常に溢れた怨嗟はインターネットで増幅されている。
それは看過できない。

同時にそれを見過ごさないで居ることで新たな差別の障壁を作ることも避けなければならない。
非常に難しい。
1000年後の世界では、もっと違うさまになっていて今私が考えている制度的なものは
特に問題ないかもしれないが、しかし今日では非常に難しいことかもしれない。
どうするべきは私の後の世代の問題だ。
後進が選択肢をつくり、何を選ぶのか見守るすべしかないのじゃないか、
そんな事を思う。
ただ、今出来る事は最善を考えてやるしかない。
私がこうして書いているということは単に愚痴を拡散しようということじゃない。
そういうなにかの礎になるためだ。
ここまで読んでるあなたは、そういう話が自分にもあったと得心をしたから
こんな所まで来たんじゃないのかな?
私はそういうつもりで書いてきた。

たぶん私達の様な人間が経験し、対応し上手くいった、行かなかった、
を蓄積することは精神医療の発展と二人三脚で、人類を進化させていく。
書く準備が出来た時、あなたにも書いて欲しい。

それに社会が気がつく時期が今だ。
そして各々が考え試行錯誤をしていくことになる。
だから今は結論も目標もなくて良い。
 

もしまわりに大人が居なければ、みんなが自分勝手なことばかり言ってるなら、
何が正義か悪か分からなくなる。ごく小さい範囲の慣例を常識だと言い張ったり、
身勝手なことを立場で押し付けている人がいたら、
あなたの持ってるコンパスの針はぐるぐる回って、方位を見失ってるかもしない。
コミュ障ではなくともコミュ障しか周りに居なくて成長が遅れていたり、
発達障害だけど正しくものは考えられるのに、方位を見失ってる人が大勢居るだろう。
かつて私も方位を見失っていた。

大人ならだれも、そのコンパスを正しくして上げられるかもしれない。
その指し示す方向を与えてあげよう。