翻訳中に恋愛話を思うに、最近のほらあれさ、
LGBTに配慮して女性と決め付けたりはどうかと思い、
そういう方向でも解釈しやすいように言葉を選ぼうかとなんて考えもする。
でも所詮ヘテロセクシャルなんでマッキーとかみたいには書けぬのよ。
そこで背伸びしてもしようがない。
「ノンケには分からないよ!」って昔なじられていたしな。

古くからの付き合いだった友人について何年か前にようやく彼のそれに気付いた。
彼が昔から言う自分が特別な人間であり、特別な個性があるのどうのって話は
彼が音楽に才能があるとかホモだからという話ではなかった。
発達生涯だったんだ。彼自身も私もホモだからみたいな見方をしてたが違う。
それに気が付いて以来、私達はとても遠い場所にいる。

近年、沢山のコミュ障の人と会話し観察し、全部で同じ事が言えるのは、
「自分だけが特別だ」というモノゴコロがつく前の共通した思いだ。
創作された物語でいうとソードアートオンラインというアニメがあるのだけど、
それを見れば彼らの思考の運びが忠実に描かれている。
どういう人物についての事を書こうとしているのか、自分の周りには
そういう人が居ないという人はそのアニメを見ればいい。
自己中な人の自分の正義を達成しようとする思いと、
葛藤や研鑽もなくワメキ散らして自体を打開しようとするさまの内面が分かる。
そして思い通りにならない時は、なだめて欲しいのだ。


私は彼の言うことを何とか理解しようとしてた。
テレビで見る同性愛の人達の番組を放送される都度見ていたし、
職場の先輩でホモの人がいたから話を聞いたりしていた。
少なくともホモだからということで誰にも敬遠はしていなかった。

このブログを読んでる人なら私が多弁なのは承知しているでしょう。
彼と話をしていて最後には必ず「所詮お前には分からない」というような結びが付いた。
今ならよく分かるが、それはホモは関係なくどの職場でもかかわりでも
話せば話すほど相手が窮していってそうなって行ってたということだ。
要するに、定型文じゃない表層をなぞっただけですまない私の話は
彼らを追い込んでいたのだ。

それが仕事上の技術的な話や問題でも、発達障害の彼らには理解できない長い話であった。
私はなるべく簡単に話しを順に構成し、言葉も漢字は少ない話方で、ごく基礎から話していった。
必ず異句同音に帰って来る言葉があった。
「話が長い!結論だけでいいよ!」

結論を言ったってさ、基礎が分かってないなら同じような失敗を繰り返す。
それが交通事故だったら、当人以外にも影響は及ぶ。
だけれども、彼らには余計なお世話なのだ。
逆に私が知らないことを質問攻めにしてても怒りだしてくるのは共通していた。
説明できないのだから。
UNIXとかシスアドとかシステムエンジニアとか、その職についているなら
当然分かってると思って質問してるけど、怒り出す。そして私を馬鹿にしだす。
高校中退やギリギリ卒業したとかで、後輩で何も特技も才能がなくても、
それは同じだった。
生活の全部を面倒見ていた同居人でさえね。


このブログは文章が比較的に長いし、話が転じて結論が一般論とは違うことも多い。
まず文章が長い時点でコミュ障の彼らにはハードルが高い。
知性の高い低いはあまり関係ない。
読めといって送りつけたってまず観想なんてありはしない。
敵意があるやつはどっかの一節だけに反応する。
それは先に書いた会話で長いと罵られる時も同じで
どこか一節に食いつくだけだ。
理解させようと考えた例え話の間違いは指摘できる。
それが分かるなら話の全体に戻って何を言いたいか分かっているよね、
と言っても一箇所間違えたからには全体も間違えてるはずだ
という論理のすり替え、自論の展開となる。

彼らは第一次反抗期の幼児と同じだという事が全く分かっていなかった。
それは私なりの理解で医学では違うと苦情が入りそうだが、
医学を知らない人の理解の端緒として提示すると、
同じ悩みを持つ人は直ぐに理解していく。
彼らを大切に扱って欲しいのだ。
彼らはまず自分が間違えているとは考えたくない。
まず、自分は正しいのだから他の人や物事や事象に間違いがある、
そのように考えていると受け取って精査すれば彼らの言葉の意味が分かってくる。
結果がまずかったとしても、いかに自分が正しい経路でものを考えたのか、
いかに以前から知識があって褒められていたのか、いかに自分が正しい人であるか、
それを説明しようと彼らは奮闘する。

言い訳するな!失敗してるじゃないか!
そういう気持ちにこちらはなる。
そして彼らが立場的に上になると事態を精査する事もなく
ひたすら他人を罵倒し責める。

説明と言い訳は全く違う。
立場で正しいかどうかを訴える人は非常に多い。
警察官だから自分は正しいとか何度も聞いたけど、お前、今うそをついてたし
寧ろ犯罪をやってるじゃないかと追い詰めて、後日上長が侘びを入れてくるようなことも合った。
同じ会社の中の上長の場合、その上がかばうともう終わりだ。
「失敗したから成長した。次は大丈夫なんだ。」
お前、馬鹿な事を言うなよ、そもそもこんな犯すはずのない間違いをやってる
人間に役職をつけて、更に責任も取らせない。
彼もその上長も他の人は徹底的に追い込むのに、話がおかしいじゃないか。
成長したから~~なんて耳障りは言いし徳があるようで、
一見何か正しいようなことを言ってるけど、根本的に間違っている。
立場で人の正しさなんて証明できるはずもないのに彼らにはそれがわからない。

同じような言葉を使っているのに全く情況に合わず混乱を助長させる、
そういった言動はインターネットの各サービスの書き込みや呟きにも多く見られる。

私もかつて現在で言われてるようなブラック企業にいたことがある。
徹底的な肉体疲労の強要と精神に対する攻撃で鬱になった。
ある日突然、布団から出れなくなるというやつだ。
それ以前にも何度か部屋の中で立ちくらみを起こして転んだり、
トイレの便座に頭を叩きつけた。
そういうのを何度か経験して思うのだけど、あれは脳卒中かもしれないな。
鬱になると前頭葉や何処かの部位が働きが弱まるとかテレビで見た覚えがある。
単に活動が不活性になるのか、今は時代が進んで別の研究結果があるのかは全く知らない。
ただし、実感としては完全にシナプスが切れたような感覚がある。
それ以前には出来ていた当たり前のことが出来なくなった。
例えば、掃除や片づけだ。
血管が切れて一体の部分が壊死したのか、はたまた寝不足やストレスで
シナプスの結合が切れてしまったのかは私には知るよしもないが
特定のことが出来なくなり、それが出来るようになるには
何年も掛かっているという事で、完全にそれはリハビリしている感じだ。
今は料理は全くしない。昔は好きだったけど、正確に言えば気力が湧かない。
興味を持てない。

そういった状態と云うのは、布団から出れないところから全て
ただの怠け癖だとかいって旧来はケアどころか更なる追い討ちをかける情況があった。
最初の話に戻れば、失恋話で立ち直れないとしても誰が責められるのか。


文章や会話でもこういった脱線はよくする。それだから若い時は
それに加えて自分の文章のお粗末さが悪いと自分を責めた。
それでも何か思うところを伝えようとすれば、一側面だけではなく
裏表や芯のところは書きたいと思うのでこうなるのは仕方ない。

数人の友人知人には物凄く文章が達者な人がいる。しかし共通して
それを読んで何も得ない、感じない。
何故だろうと考えてきたけど、物を書いて生計を立てている
人の文章のフォーマットどおりなんだろうと思う。
中身はなくともフォーマットにしがたい一般論を書いていた、
そのように思う。

思考した形跡がなくとても綺麗な文体で読みやすい上手な文章、
しかし、書いてあるのは特に彼らの意見でもなく、情を差し挟むところのない
どこかの誰かが既に書いたおいたような万人に共通し受けそうな情報の少ないものだった。
こちらが置かれている情況の話を一切聞きもせず、
自分の言いたいことが書かれているだけということも。
少なくとも、相談に乗ろうという場合ならまず根掘り葉掘り聞くことが大切なんだけどな。
女が例え悪かろうが男は黙って過ごすのが美徳、そんな話をされて急に上から目線で説教とか
もう苦痛に他ならない、なんて話だよ。
当人は善行を積んでいると思いこんでてますますエスカレートし拒んでもやめてくれない。
拒むと「せっかく心配してやってるのに!」悪いと「不幸せに成りやがれ」
とおまけが付くこともあった。
実は傷口に塩を塗りこむような事をやられてて誰が喜ぶのだろう。

彼らとは会話をしていても同じで考え方もそういうフォーマットどおりなので
その人なりの人格をあまり感じない。つまり個性のないうつろな肉体とでも言おうか。
多分、同じ結論を言うとしても、私はこんな風にどう何を考えているかという話をする。
彼らは、彼らなりの考えの結合と云うようなことがない。
話は簡素で、「分かるよね?」同意を求める形式で考えを深く掘り下げたり
独自な経験や経験則があまり出てこない。
何処かで聞いたような話が、更に簡単に並べられるだけだ。
そんな彼を見ていると、年齢と性別と容姿が違っていても
同じ顔の人間のように思えてくる。
そして彼らは話を聞かさせるのは苦痛に感じている。

でも、自分で本当に知りたいことは質問してくる。
そういう時には話を聞くし、理解する。
自分自身で問題意識を抱えた時だけ、その扉は開く。
見ていて明らかに悲劇に向かっているのに黙っていられるか!
その気持ちはよく分かる。私もかつてそうだった。
そして逆に恨まれ嫌がらせを受けるようなこともあった。
「僕はもう大人なんだから一人でやらせて!」
もし、そんな風だったら係わるのはよした方がいい。
ただ、待つしかない。その扉が開く時を。

SNSだと、やっぱり何とか知らせてあげようとか頑張る人は多い。
私は上記理由で限界を感じ、書く場所をブログに移動した。
ここは待つ場所だ。
このようなコミュニケーションの事から車の技術的な事までも、
アクティブに係わる姿勢の方にだけ係わろうと思っています。

インターネット時代に生まれなかったら、
自分の周りには子供の様な成人しかおらず混乱したまま一生を終えただろう。
多分先人にはそういう人は相当多いはずだ。
逆にコミュ障の人も同じ状態だということはいえる。
インフォメーション技術とコミュニケーション技術の革命が起こったこの時代に、
一体私は何をしていけばいいのだろうか。

私は英語が話せないし辞書がなければ読めもしない。
それでも翻訳しようとおもう。好きになった楽曲をもっと楽しみたいから。
大学受験を諦めた頃から今まで、そういう翻訳は継続して時折やっていた。
結局、今のところそういう能力は社会生活には何も影響はないな。
私の経済活動の役には物を買う時以外はあまり確かに立っていないけど、
ものの考え方とかには数学と同じように影響が出ている。

そもそも言葉の通じない人とも意思疎通をしようと思えば
ネットを使えば安易にそれが出来る。
分かろうとする気持ちと感性と教養があれば何とかなる。
それを誰にも分かって欲しい

まずはMMOで遊ぶ時に何処の国の人であっても取りえず英語で
何とか意思疎通しようと思う。
それで何か相手の国の生活状況の違いが分かったり、
でも恋人同士の間で起こる問題は同じだとニヤけたり、
気持ちが繋がった時は楽しい。

運輸業者としてみる有史以前の人類の交易や旅でも、知らない土地の誰かと
お喋りするのはきっと楽しかったのではないだろうか思う。
そうでない場合もあって、意思疎通が成立せず民族同士の争いも多くあったようだ。

FF11の時の話だけど、前述した元友人は同じ種類の人達とだけ係わるようになった。
私が高校と時からの友人だという話に、その彼らの仲間はやきもちをあらわにした。
当時私は、同じホモ同士だからと受け取った。
今は全くそうは思わない。そのグループの人には随分しょっぱい思い出がある。
あれは子供としてのヤキモチだったのだ。
話も確認もせずに「俺達は仲間だ」から始まって、誰かを区別し阻害していく傾向が強かった。
長話はNGで話かけるほどに嫌われていく。私がヘテロセクシャルだからなんだろう勘違いしてた。
まあ実際、具体的な性行為の話を喜んでするオヤジは何処にでもよくいるんだけど、
ホモでそれだと凄くきつい。セクハラを訴える女性の感情が如実に分かった。
分かったフリも出来ないし、性的嗜好も全く違う。

人の気持ちが読めず、自分が楽しい事を興が乗ればやめられない。遮れば激怒する。
子供もコミュ障の成人も同じ。エロ話も大概にしておいた方がいい。
同じようなことは別のことでも言える。
顔色を伺うのではなく、気持ちを伺うことが求められている。
その体しか見ないで空気が読めないとか他人を責めだすのは大抵は
いつも空気が読めないと叱られたり覚えてる人だ。
先にその台詞を言ったほうが勝ちと云うことらしい。

私がそこに何時までも居られるはずがない。
SNSでよく見るように、やはりコミュ障はコミュ障同士で固まっていく。
不良少年は不良少年たちと固まっていく。
そして、仲間内で傷つけあっていく。離合集散は繰り返される。
私はヘテロだし、大人だ。彼らとは違う。

私はそんな場所から逃げ出した。
そして、今度こそと新しい仲間を得てFF14をプレイした。
海コン稼業で睡眠時間がタダでさえ不足しているのにネトゲをやるのは非常にしんどかった。
色々調べることもあるしフリーカンパニー関係のやることもある。
日中に意識を集中しているのは中々大変だった。
結局、ウチのギルドは良かったけどFF14全体に漂うイジメ感が堪えられなくなってしまった。
幼稚なプレイヤーが多すぎた。
或いは私が他の人より違いすぎたかだ。
肉体も辛かったし、更に会社内の発達障害のドライバー達への対応でも辟易としていた。
精神的に色々追い込まれ、結局仕事を優先しなければならずログインしなくなった。

このところ、英語歌詞の翻訳とウィキのサイトの翻訳に精進していた。
人間がつくづく嫌いになったり、人恋しくなったり、
人生の中でその気持ちの上がり下がりは続いている。
人間はやっぱり一人きりで居ると辛い時の方がいい。
家族や友人は多い方がいい。
その為に、私なりに誰とも上手くやっていきたい。
それにはずっと書いてるように意思疎通が大切なんだろうと思う。
むげに子供は相手にしないなんて思っていない。
基本的には上手く付き合っていきたい。
もし、その人が私に対してそう思ってくれてるのなら。

FF14では血盟やギルドのことをフリーカンパニーと称していた。
Friendly Campanyを聴きながら、私の所属したカンパニーを思い返していた。
彼らは親しい仲間だった。


私もこんな気持ちで団長をやっていたんだよ
そして、また再びどこかで