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2つ前に書いた「企業家Fuzzの番組と~~~~云々」を読み直していて、
以下のことを加筆しようとしたんだけど、こちらに切り取り書くことにしました。
これはその記事の続きです。



血液型で人格診断するのは間違いであると既にあちこちで言われているのだけど、
誰かを理解していく時の入口としては使いやすい。
たった4つのカテゴリーに76億人(2017年)の性格を当てはめようなんて無理にも程がある。
4つと言っても親の血液型からAOだとかAAだとかそういった分類で
多少はB型寄りのA型だとか言ってもう少しポケットを増やす人もいる。

やがてそんな事をしているうちにその分析したい人の性格や傾向がわかってくる。
さて、それは元の4つのカテゴリーのどれかなのだろうか。
そこに無理やり結論を結びつける人もいれば、全く違うオリジナルの人物像を思い浮かべる人もいる。
結局のところ物事をカテゴライズしたり情報を間引きして
記号化していく作業そのものにはたいした意味はない。
取っ掛かりとしてはいいだろうけど、最終的には間引いた情報を盛りなおしていかねば
明確な輪郭や本質を他者に伝えるのは難しい。

だから、How to本の分析でこんな上司をどう扱うかとか、
記号化した情報で多くを語ろうというのは非常に物の見方が浅いことがわかる。

○○世代は○○である、それは殆どの使われ方で間違っている。
経済状況が酷かった戦後と現在とか言ったら語れる部分はあるだろうけど、
平成の間で世代間ギャップだとかを語るとかは、殆ど意味がない。

トラブルメーカーの誰かから抽象を引き出そうというなら、
それは世代と云う横の切り取りではなく、
その傾向の人達の人生の縦の線か、で捕らえ分類することが大切だ。

交通事故の話題でよく老害という言葉を間違って使ってるのを見る。
「家族の言うことを全く聞かず運転を続けた」
こんなニュースを聞けば見えてくる人物像がある。
そんな人は少年期、青年期、壮年期、中年期、を通してきて
人の助言を全く聞かず親しい家族や友人に我を通し続けていたんじゃないかな。
加齢が進んで自分は偉い、父だ祖父だ敬えといって支離滅裂なことをやっておきながら
自分こそ常識の体現者であるといい訳がやまない。
詳しく理由を説明も出来ないでおきながらね。

ネットではまとめサイトや匿名掲示板で阿呆の書く、まことしやかな嘘に溢れている。
ツイッターなどでは、非常に馬鹿丸出しの「わかった人」の悪口に溢れている。

わかった事にしてしまうと安心できるのだ、彼らはね。
途方もなく広く、大勢の中で孤独を感じるこの世の中の、
その世界の中心で安寧を安易に得ることが出来る。
その当人から見て苦しい努力を放棄して良い事にもなる。
具体的に像を思い描くのに一つ例を挙げれば
盗んだバイク走り出す、自称可愛そうな不良少年の泥棒だ。

この世界はそんなものだから大人はなんとか他人と親しくなり、
喧嘩をする事なく入られるよう際限の努力を疲れ果て力尽きるとしても続ける。
大人はそれを根気よくそれを続けようと思うものだ。
私は子供相手なら喧嘩をするのも止むを得ないと思う。
彼らが他者を攻撃するなら、場合によっては避けられないと思う。

血液型診断が好きな人がこの前、そういう人のハチャメチャな言動がわからない、
わからないというので発達障害の人の見分けかたから自分の意見を言ってみた。
彼は、ハッとして続けて自分でも発達障害のサイトを検索し始めた。

それで突然、謎が解けたと宣言した。
不可思議だった言動の全部が説明できるし理解できると。
何も私は彼を洗脳したわけじゃない。キッカケをトスしただけだ。

そこから見れば、4つの分類ではおさまらないカテゴリーは実は、
たった二つのカテゴリーでしかなかったことがわかる。
そもそもカテゴライズを始めるのは、そういう人との係わりの中で
思い悩み理解しようとするからだ。

地球上には子供と大人しかしない、それでその疑問や悩みが逆に理解できてしまう。
勿論、個々に人と関わる時はその人の精神性の違いを感じる。
しかし、大人であれ子供であれ最終的には個々の対応があるのだけど、
最も最初に取る態度は、大人相手なのか子供相手なのかの2種類で、
それを選択するだけで非常に思考の流れが円滑になる。

「じゃあ、彼がそういう人だとしてどうすればいい?」
その問い明確な答えはない。
発達障害の人という大枠はあっても、傾向は個人ごとのものだ。
安易にこのパターンでいいなんてことはないと私は考えている。
個人ごとにその対応手段が変るし、同じ個人の対応でも時と場所と情況でも変っていく。
自分のキャラクター設定でも違ってくる。私がやって良い事や言って良い事が
ほかのキャラクター設定の人が真似していいものでもないし、その逆も真だ。

一つ言えるのは、そういったデリケートなことは多く手を焼く。
だから私は極力係わりを避ける。それが私にとって正しいのか悪いのかまだわからない。
彼らの中で私に対して好意を感じてくれているのなら、私は何もむげに対応しようとは思わない。
実際問題、ウチの近所に住んでる以前の会社の同僚はたまに一緒に遊びに出かけている。

そのように彼らを観察していて、彼らの特徴を医学とは違う私個人の判断基準が出来ている。
それがあるとマスメディアが発するニュースで、
犯人だとか話題の人物の中から発達障害に違いないと強く感じることが非常に多くある。
あえてその基準は書かない。
この問題を同じように感じている人なら、きっと既にわかっているだろう。
そういったトラブルメーカーの特徴は殆ど先に挙げた2つのカテゴリーの一方と合致する。
最近も幼児に関する心痛む事件があった。

あれが執拗な嫌がらせ行為という見方をすれば分かる人は多いだろう。
うさばらしがエスカレートしていく。それは相手の心がつかめず、
自分の怒りが届いていると実感できないからだろう。
共感能力の欠如だ。

あまりそれを具体的に書いてしまうと偏見の対象に成りかねない。
だからこの記事では書かない。別の機会には書くかもしれないけど、
差別や偏見の対象となる恐れは常に危惧していなければいけない。
そのカテゴリーの人が必ず事件を起こすといった観念が生まれてはならない。
ただ、彼ら自身にも自分の特徴は掴んでもらいたい。

この件で必要なことは「当人の気づき」が一つ挙げられるだろう。
しかし、それを係わる周囲の人が出来るかといえば非常に難しい。
あなたは発達障害だといえば、殆ど怒りを買う。
そしてそこから何も出来なくなる。
近親者の愛情が伴わなければ、心身を喪失するまで傷つけあう。
私はそういう思いをしてきた。

カルト教団に入った家族や勧誘商法に騙された家族を、そこから引き剥がすために
そういうことがあるが、それだ。
そして、多分、そういう黙れていく彼らには発達障害の人が多いだろう。
これも経験則で、一般性があるかどうかは保障しない。

会社の中でなら、上司から部下に、年長者から若者へという立場の物言いをする事があるが、
それが有効な場合がある。
彼ら自身、わかった人で上から目線でものを言うことが非常に多い。
だから、こちらがAuthority(何かの権威や専門家として磨かれた人)
であると認めさせている場合は命令に従うことがある。

彼らの悪口だとかは大概彼らのコンプレックスそのものだ。
だから彼らにとって傷つくだろう最大の罵詈雑言は、
そのコンプレックスを持たない他者には全く無意味と云うことがある。

会社で仕事を消化していく場合に、時間をかけて意思疎通をはかってはいられないことが普通だ。
だから、場合によっては怒鳴って威圧してでもやらせなければならないことがある。
そして、それが常識だと思う彼らも必ず同じ事を始める。
情況に反して、理不尽な屁理屈で、威圧してくる同僚や上司がいたらそうかもしれない。

電気配線でプラスとマイナスを繋いだからショートしたんだ!
と偉い剣幕でおこってた人がいたが、そのカテゴリーの人と判断してほぼ間違いない。
威圧して言うことを聞かせよう、その場合理由は何でもいい。
ブラック企業で拘束時間を長くして心身を消耗させてミスを誘発し、怒鳴る。
そんな事、よく聞くでしょ?

同じ事を言っていても、屁理屈で人を屈服させようとしている場合もあるし、
単に啓蒙させようと真剣なだけかもしれない、それは安易に判断が出来ない。
だから、ネットでもよく見る何タイプの人は何々であるとかのテンプレートの殆どは間違いだ。
その筆者のそれまでの経験則ではそうだったかもしれないけどね。

私達はプログラミングではない。対応パターンを増やすことが危機管理ではない。
常にアドリブでの、その情況にあった選択をその時ごとに考えていかなければならない。
テンプレート対応しか出来ない人間では、その人の価値なぞない。
話をしても自分の主張をリプレイするだけなら、コミュニケーションがないのだから話すだけ無駄。
常に誰かの意見や論説、誰かが何々を言ってた、
全部何かあったら責任は引用元の人だとかいう責任回避、
自分は良い人なんだ、何があろうと自分は悪くなくて他人が常に悪い、
そういう言い訳前提で生きてる人が良い年齢になった社会人でも驚くほど多い。
責任を他者に依存してるなら、その人にはその人の価値は無い。
誰でも良い誰かであって個性は無い。
そういう人というのはただの数合わせの数字、
ビッグデータの一部の数字、統計的にただ存在する無個性の誰でも良い人だ。

もし、「私」が己の中にあるなら、自分で判断し、
その時、その場で、その状況で、自分の考えと責任を持って
言動を起こさねばならない。
失敗は素直に受けいる。

 
私は最初の職場で機転を利かす必要性と重要さを嫌と云うほど痛感した。
機器に備えて物事を用意していれば安心が生まれる。
しかし、トラブルは起こってみないとそれが適用できるものかわからない。
だから必要なことは、その緊急時に平静さを保とうとか、考え方の優先順位や、
円滑な思考方法と情況分析と情況判断能力の活性化だろう。



それらを踏まえて私はこのブログをはじめ最近は「団長」を名乗っている。
やる(書く)ことやらなきゃそれは滑稽だ。
そしてそう名乗ったからやってこれたのかもしれない。

最近は少しは名前に意味が付いてきたんじゃないかと思う。
ちゃんと私と同じ位相にいる誰かと繋がっていると私は感じているし、
その代弁も時にはしていると思う。
表の意味の海コンに関係する旅団としても、
そういった同じ位相の人達との繋がりという意味での旅団も、
ある意味一緒に道を切り開きつつあると思う。

自己表現と個人が出来る情報発信と
それに対する日々のエンゲージメントに対して
私はプライドを得る。 
それは会社組織で任命されるものではない。
退職してどこに行こうが関係がない。
私自身が獲得したものだ。
 プライドは他者に格付けされるようなものではない。
立場がほしくて出世しようとし、それで得たなら直ぐに賞味期限は切れてしまうだろう。 
課長や部長だったとして敬ってくれるにはその期間にその組織内の構成員だけだ。
地域社会や別のコミュニティでそれをひけらかして敬ってなど貰えない。
それでもダダをこねる子供ならトラブルメーカー以外の何者でもない。

 プライドとは達成感とか自己満足する事から作られる。
だからこんな風に記事を書かない誰でも、それは以前の私でもあるけれど、
誰でも通常生活しながら獲得していく。

天井知らずの高い目標を唱えたり、強要する人は多い。
自分に向いているとして本当に自分の達成感を満たすのだろうか。
そして「あなたの為に」と薄ら寒い事を言って
他人に対して向かうなら人を傷付ける。
日大アメフト部の事件はそんな感想を抱いた。

優勝、戦闘での勝利、1番になる事、
一見して正しい目標や文言でありながら
人を痛めつけるだけの暴言と暴論が
時に堂々と時に問題のすり替えで
世の中には溢れている。

プライドとは自分を磨ぎすます為の道具だ。
最初の心構えとして人に刃を向けるようなものではない。 
プライドとは自律し、誰かと関わりつつも他者に依存しない。 

だから権威をひけらかすということは決して良い事じゃない。
大人ぶった子供たちが権威をひけらかすのを打ち破るのがロックンロール。
だから、私がそういう反骨精神で生きているのに権威を騙るとは
一見すれば相反する。

私とすればそれは一個の立方体の一面づつでしかないと
わかっているけど、中々人に理解してもらうのは難しいかもしれない。

先ほどの誰かが発達障害だとわかったとしてどうするか云うことに
決まった対応はないとは書いたのだけど、考えてみるとこうした
権威は一つのやり方だろうと申し付け加えたい。

私はもう直ぐ50歳になるが、25歳の人が同じ事をやって上手くいくかといえば
余程の実績がなければ無理だろうと思う。出来る人も居るかもしれない。
でも、その個人が蓄積してきた佇まいなりがないとやっぱり無理だとは思う。
気さくな人が急に態度を変えてもいけないしね。

それに気が付いた時、その人にとって何が自分にあった適正なやり方なのか
悩みながら構築していくスタート地点だと思います。


人生はアドリブが連続して続いて行くライブショーの様なものだ。
常に慢心して油断してはいられない。
のり突っ込みを見落としちゃいけない。




私は時々フラッシュバックに陥る。
決して戯言ではない。
あの時、私がこれらを知っていれば、そんなシンドイ時の眩暈に襲われる原因は避けれたかもしれない。
或いは周囲の人がそれを知っていれば助けてくれたかもしれない。

繰り返し、そんな事があった。

心的外傷となった事案もある。
それを私は未だに書けないでいる。
それを書くことで救われるほかの誰がいるだろうことはよくわかる。
でも書けない。




この所よくローテーションして聴いてる楽曲。

人は明確な答えを得られないことの方が多いだろう。

結果的に、あの時はああするしかなかった、そうならざるをえなかったと、
それが最善の選択でありその時に得られる一番言い結果だったと、

それは歓迎できない結果だったとしても肯定し受け入れて生きていく。

良い意味でも悪い意味でも人はそうして生きている。

そうでなければ心は折れてしまう。

しかし後悔と結ばなかった思いは残る。
折れないよう、いつかはそれは叶うと、
それは手に入らなかったけど、形を変えた別の何かでその喪失感を埋めよう、
そう思うことは決してネガティブなことではないと思う。

そして、それが自分では叶わなかったけど、
きっとほかの人には役立つかもしれない、
そう思うことは無駄だとか、悪いことじゃないだろう。

そう私は信じてる。


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