この日記には以下の事がかかれています。

フルメタル・パニック!IV 第2弾PV


遂にフルメタル・パニック!IV(4、Invisible Victory)の放送が始まった。
昨年からワクワクして待っていた。PV第2弾で主題歌が入り、この頃は
山田タマル / Even...ifの歌声にすっかりやられてしまっていた。

上のPVの通り、今まで幾度か交差していた平和な日本の高校生達の生活と
戦場で死なずにこれた相良宗介の残酷な日常の二つの正弦波が、
ゼロアワーで重なり交差がほどけない一本の正弦波となり後戻りのきかない
ハードな戦場の日々に変わってしまう。

ロボットアニメ、或いはアクション作品で銃器を扱っていれば当然の話だが、
そういった殺人兵器は人をあやめる為の道具である。
だから、内容は凄く重くなっていく。



2002年に京都アニメーション製作のアニメをWOWWOWのノンスクランブル放送で始めてみた。
ディレクターズカットのPVでもわかるけど、京都アニメーションも凄かった。
賀東 招二(がとう しょうじ)の原作ではあるけど、やっぱりヒットしたのは
このアニメと「フルメタル・パニック?ふもっふ」が凄くよかったというのが大きい。

沢山の名場面はあるのだけどTSR / フルメタル・パニック! The Second Raidの散髪シーンは最高だ。
原作が在ってのものなんだろうけど、京アニの作品だからあのシーンは最高なのかもしれない。

WOWWOWのノンスクランブル放送で初放映されたので、
当時見ていたのは一部のマニア、ヲタクたちだ。
フジテレビの深夜枠で「ふもっふ」が放送されて認知度が上がる。
でも、ゲームのスーパーロボット大戦で主役機「アーバレスト(大石弓)」と宗介を
知った人の方が多いのじゃないかな?

以前MMOをやってたときに干支で一回りのしたのプレイヤーにフルメタのことをオジサンなのに
よく知ってたね、なんて上から目線で言われたことがある。
「ウィニー」を使って80年代アニメから知ってるなんて自慢してるやつに何を語るのことも許さない。
(今ではそんな馬鹿野郎は少なくなっただろうけど)

おれは全部リアルタイムで見てるんだ、釈迦に説法だっての。
好きだった作品は一週間、次回放送を待ちながら何かを考えたり主題歌を口ずさんで思いが篭ってきてるんだ。
それのことを考えて過ごして来た時間が違う。
一気に見てアクションしか記憶にないのと、作品のテーマや人ってなんだろうと
青春時代の悩みを投影させたり憧れや目標を時間を費やしてきている。
エンディング曲をカラオケで歌ったりしてるとき、
当時の悩みや分かれた彼女のことを思い出したりしててそんな単純なものじゃないんだな。
今ならわかるけど、ああいう全部知ってる自慢とか、スペック自慢の上から目線の
にやけ顔って他人の認識がおぼつかないコミュ障だったんだな。

懐かしいと言えばレナードと宗介がイプシロンとキリコの様な場面も出てきますね。
オマージュというやつですね。

ちなみに「初見の方法」については私自身はあまりどうこうおもわないけど、
少なくともその作品を好きになったなら制作者や原作者などの利権者に利益を与えるのが筋だとおもう。
何らかの対価を支払いたいものだ。
そしてそうしたファンがネットにアップするものは決して
商業的に再利用しようと云うものばかりではないので
利権者には多少は大目に見てもらいたい。
お金を出す気がないやつは、どうやったって払いやしない。
最初から利益の回収が見込みがない。

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kindle(電子書籍)でフルメタルパニック!Σを買って一気読みした。
古本を買うのが安上がりでいいのだけど、Invisible Victoryの放送に対して
ファンとしての何らかの意思表示的にkindleで買った次第です。

途中に人物達のポジションの入れ替えがある。
それがどうしてか、どこに向かって行くのか、この展開が非常に巧みです。
決して人は誰かの為に生きているわけじゃない。
自分という主人公達で構成されているのが世界だ。
MMORPGをやっていた時にギルドのメンバー誰もが主役であるように、
(そう私は言っていたんだ。黒い砂漠のキャッチコピーより早くねw)
世界とはそうしたものだ。
群像劇というほどでも無いけど、主要な人物達の人間像が立っていて
この作品は面白い。

逆に言えばSAOとか進撃とかの主観没入型の作品が大好きだという人には向かない。



アニメも漫画も原作とは違う部分がある。
その内に原作も買って読んでみたい。
まあちょっと、ラノベ一般の読みにくさがあるのかないのか
それは知らないけど、今回は原作にしませんでした。



この作品はSFの王道だ。SFのギミックが安易なオカルトの文明ではない。
ご都合科学というのを何処までで区切るかと云うは個々人、ファンの解釈もあるわけだけど
私としてはこのギミックは凄く得心した。
無限に主人公の思い通りにならない範囲がよい。
70年代80年代のSF小説にあった、人間を描くための舞台設定と道具としてのSF感がとてもいい。

また、ガッチャマンやウルトラマン・レオやレイズナーなどなど、
孤立無援になり先細っていく感じ、あの組織や兵器が最強ではなくて「人が強い」という
描写感がスリリングでそして懐かしい。
そういったものは「巨大な悪を倒して、やった~!」って事じゃないだ。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
ゴーギャン ウィキペディア
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ブレードランナー世代にはたまらないフレーズ

このブログで度々書いてる人類の歩みにおもうこと。
人間は宇宙人に進化を促されていないし、超古代文明はない。
そして人とはなんなんだろう。




このフルメタル・パニックという作品はこういう私の好みに非常に合致している。

人間なんてタダの化学反応だ。
惑星上に波紋のように浮かび上がる気象現象と同じ。
素粒子的に見ればエネルギーの現出のあり方の一つであり、
酸化作用、燃焼による時間の加速の片鱗のあり方の一つでしかないと思う。

悠久の時間の中ではほんの一瞬の物質の化学変化の一つでしかない
たくさんの生命のほんの一瞬の揺らめきが人間だ。

それでも人間には意識がある。

江戸時代にも人は生きていたし、縄文時代にも人は生きていた。
彼らはきっと今の私と私達と変らずに喜び悩み生きていただろう。
20万年先の未来の人類は姿形は今とは違っているはずだ。
20万年前の旧人の容姿は今の我々とは違っていた。
この物質文明にはタイムリミットがある。
資源量の限界がその原因だ。

そんな先の心配はしても仕方ない。
人は人の心に共感を抱く。
そしてそれは「私は君が好きだよって」って事が一番だろう。





この楽曲の発売日が待ち遠しい。
PVは絶海の孤島、メリダ島のイメージなのかな?
横須賀の猿島だろうか?w






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角川書店批判

私が最近もっとも酷評している作品と作家ワースト3

いずれも精神的に幼児のままの成人に向けた御伽噺だ。

そして非常に暴力的で攻撃的で、コミュ障の攻撃性の強い人間ほど好きだという特徴がある。


昔、「宮崎勤事件」の時にアニメや付随するジャンルが原因であるとサブカルチャーが叩かれた。
また北欧では大人気だった「セイント星矢」が暴力的で教育的によろしくないと放送が中止された。
アニメや漫画の影響でそうなるという論旨が批判の主流であって反論も多かった。

私がおもうところでは、その犯罪者傾向の人は影響を受けるというより
自身の正当性の主張に利用するという側面が大きいとおもう。
「みんなが言ってるんだぞ!」
そんな気持ち。自分だけではないし、ほかの人も自分を肯定しているような思い込み、言い訳。

わーとかギャーとか叫んだら何かを買ってもらえる、皆が自分を褒めてくれる、
そんな4歳5歳の気分を肯定してくれる作品が好きなんだ。
仕事や生活の場で私が彼らの失敗を責めるでもなくアドバイスをしてるだけでも、
奇声を上げたり話を激怒しだして話しを遮ろうとかいうのが発達障害の常だ。
そして聞いているとしても、帰って来る言葉は絶対に反省は含まれていない言い訳。
状況説明と言い訳は違う。そういう彼らが逆に仕事上で上司だったりした場合、
状況説明は言い訳だと言い始め激怒する。要するに彼らにとって自分のトラウマなんだろうな。

旧車会だなんて言って、40代50代になっても暴走族ごっこを止められないコミュ障のガキ親父たち。
いい年して「わる」が売りで生きてますルックス。
そういう見た目でわかるトラブルメーカーよりも、案外普通そうに見えるパパママでも
そういう厄介な人達は多い。

「私が認められるべき世界の実現」
これが本当にウットオシイ。
ONE(漫画家)ワンパン(チ)マンモブサイコ100の作品で登場する悪役というのは
そういう人間の暗喩だ。
ONEは明確にそれを認識して描いているが、色んな漫画やアニメでは
そうとは意識せずにただ彼らの言動を模写していると思うのもが多くある。
それはまた別の機会に書きたい。

その悪役たちが主人公の作品がSAOと進撃の巨人、
そしてえすのサカエが描いてる未来日記やほかの作品だ。

進撃の巨人はわかりやすいのだけど、台詞は少なく暴れている描写が多い。
主観の大きい被害意識。被害者は正義。
大人になる事の出来ない珍妙な巨人と皮膚のない半端な巨人。

大人は優しく笑いながらアドバイスしたり誤りを正そうとするのだが
子供世界から見ると「俺のプライドを傷つける」巨悪な存在。
「もう一人でできるもん!」の第一次反抗期の気分だと、まさかこっちは
成人相手に思っていなくて話しかけるから彼らの「被害者意識」を増幅させていく。
それが壁を越えてきた巨人と攻撃性の強い小人達の描写の意味するところだ。
そして大人に成りきれない中途半端な巨人達が更に仲たがいしている。

台詞は少なく、なるべくテンプレート。
残忍で禁忌の殺人描写、それが「凄い」のだ。
影で人が死ぬ様を描写するのでは刺激が物足りない。
感性の幼児性や語彙の少なさが発達障害の大人たちにとって好都合なのだ。

タブーな表現ほど受けがいい。
そう思ってる作家とファンたち。
幼児に刃物を突き立てるような描写に大喜びして下卑た笑いを堪え切れない。

角川書店内にこうした作品を積極的に売っていこうという強い姿勢がある。
ビジネスとして成功すればいいという彼らにコンプライアンスの意識はない。
他人を想像する力は欠如しており、言葉を理解しないから「極端なウケ」の
声を批判だとしても支持の反響であると誤認する。
植松聖(Google検索)がマスコミを見てにやけて居るのを様と同じなのだ。

まだ犯行を犯していないだけというレベルの人間が大勢いて、
ワースト3の作品は暗に彼らを承認しているようなものだ。
このままじゃ、また宮崎勤の時のように全体が否定されてしまう。
あの当時アニメファンだなんて私は恥ずかしくて言えなかった。

中には文学や芸術と言っていいすばらしい作品が数多くあるのに
こうした一部の害悪の強い作品を大きく売ろうとしているのは
この分野に対する背徳行為だ。

えすのサカエの「ビッグ・オーダー」が放送される時、
私はTOKYO MXに苦情の電話を入れてた。
そして放送の前日に熊本地震が発生する。
そのよる、ビッグオーダーの第一話は地震で壊滅した島原の遠景シーンから始まった。
地震で沢山の被害が出ている中、人の気持ちを蹂躙するようなものだ。
一部の気のふれた人間だけがああいう「俺の認められる世界」を見ればいい。
決して人を好きにならずに、「人に好いて欲しい」だけのモノたちに。



前段と後段のことは「願う世界、叶う世界を求めて」として同じだが、
「ものごころ」の付いた世界の外側と内側で全く次元が違うのだ。
大人は子供にある程度は合わせていけるけど、限界は在る。

この二つの世界があるのに、それを相互の人間が認知しようとしないから争いが起こる。
小学生から老人までのイジメや派閥や奇行の目立つ人の問題の多くでこの問題がある。
社会がこの問題をどう解決していくか、何処を目指したらいいのかは私には全くわからない。
ただし、その世界の違いを持った人が相互にいると認識する事から始める必要があると思う。

発達障害は社会の中でマイノリティではない。
世界中でそれは同じだ。
知能の高い低いではない。
先人達も気づいていた人は少なくない。
甘えの構造」や「ピーターパンシンドローム」や「アダルトチルドレン」などが顕著だ。

別の言い方ならモンスターペアレント鬼母(Google検索)メンヘラ(Google検索)、が思い当たる。
落語をテレビで見ていて、この話の噛み合わない江戸の町民はそれだなと思うことがよくある。

参考動画

岡田氏以外の二人の話のボタンの掛からない感じ



彼らには言い訳を用意してあげた方がいいのだろうか。
この前、ある人と話してたら精神的な病の場合は「言い訳」として
病名があった方がいいのだということを言ってた。
その病名の分類が差別の方向に向いてしまうならダメだろうし、
アダルトチルドレンのように細分化しすぎると分類した意味が無くなる。

だからなるべくは漠然と2つの世界があるとだけ言いたい。