2018.4.8のNHKスペシャル「人類誕生」は大変面白かった。
ああいうのは大好物ですよ〜〜



以前から書いてるマップレイヤーですが、Wikiを読みながら書いてます。
その資料を年表にコピーしてみました。その番組を観た情報も入れてます。
文字数制限的に既に限界なのでパート2に続く予感があります。
予告なく編集もしていきます。

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因みにこのページはテーブル(表)を使ってる関係でスマホで見るのは厳しいです。
パソコンの画面になるPCサイトビューワーを推奨します。
ページの最も下にある「PCモード」で切り替えも可能です。

年表の内容を把握してこのマップを見ると楽しいのです。
興味の無い人には苦痛の種でしかありません。
見ない方が良いですよ(笑

マップの見方の注意点としてはメルカトル図法だと分かりずらい
地球の丸みを考えて見る見方を入れるとより良いです。
アラスカへは黒海からイルクーツクのバイカル湖の上を結んで行くとだいたい最短になります。

年代
地質年代
&
見出し 


約580万- 約440万年前アルディピテクス・ラミドゥス約580万- 約440万年前(新生代中新世末期[メッシニアン中期] - 鮮新世初期[ザンクリアン初期])のエチオピアに生息していた原始的な人類(猿人)の一種。 長らく最古の人類とされてきたアウストラロピテクス属より、いっそう古い時代の化石人類である。大地溝帯
約1,000万 - 500万年前から、大地溝帯の形成が始まったと考えられている。
約390万 - 約290万年前アウストラロピテクス・アファレンシス
アウストラロピテクス・アファレンシスはアウストラロピテクス属ヒト属の共通の祖先であり、現代のヒトに直接繋がっていると考えられている。
有名なルーシーを含むその他の大部分はエチオピア北東のハダール村で発見されている。
現代の、また絶滅した類人猿と比べて、アウストラロピテクス・アファレンシスの犬歯や奥歯は小さかったが、それでも現代のヒトよりは大きかった。

脳のサイズも380-430mlと比較的小さく、顎が前に突き出た原始的な顔をしていた。 脳が小さく、原始的な顔をしていた人類が直立二足歩行をしていた



更新世
更新世(約258万年前から約1万年前)
約258万年前~約1万年前 第四紀氷河時代 現在の氷河時代である第四紀氷河時代
更新世(約258万年前から)に始まり、
北半球の氷床が拡大し始めた。






258万8000年〜180万6000年前 ジェラシアン

260~180万年前
前期旧石器時代
オルドワン石器文化(約260万年前 - 約180万年前)

アシュール文化英語版(約170万年前 - 約10万年前)

クラクトン文化英語版(約30万年前 - 約20万年前)

240万年前から140万年前 石器の発明
打製石器
ホモ・ハビリス オルドワン型石器群

現在分かっている限り最も初期のヒト属である。容姿はヒト属の中では現生人類から最もかけ離れており、身長は大きくても135cmと低く、不釣合いに長い腕を持っていた。ヒト科アウストラロピテクスから枝分かれしたと考えられている。脳容量は現生人類の半分ほどである。かつては初期型ホモ・エレクトスへと繋がりがある現生人類の祖先と考えられていたが、2007年ネイチャー誌上で両種がおよそ50万年以上に渡って同時期に存在していたとする記事が掲載された。この発見を発表したグループはホモ・ハビリスはホモ・エレクトスとは共通の祖先から枝分かれし、現生人類へと繋がる事無く絶滅した種であるという見解を示している。

200万年前
ヒーバー氷期、ヒーバー-ドナウ間氷期


200〜120万年前

パラントロプス・ボイセイ
同時代の初期ホモ属や、やや古い後期アウストラロピテクスとは頑丈型として区別されるグループで、発達した側頭筋を持ち、堅い食物を摂取する方向に進化したと思われる。

180万6000年〜78万1000年前 カラブリアン

180万年前~5万年前

ホモ・エレクトス

形態的特徴として、身長は成人男性で140cm~160cm、体重は同50kg~60kgと現代人よりかなり小柄でがっちりしているが、頑丈型と華奢型が存在していた。体毛は濃く、背中までびっしり体毛が生えていたと思われる。体色は黒色、体毛も黒色と考えられている。

頭部はホモ・ハビリス種に比べ額の傾斜がゆるく、大きな頭蓋の容量を持つ。脳容量は950ミリリットルから1100ミリリットルで、現生人類の75%程度。

また、歯はより小さく、現代人に近い。行動面では、それ以前の人類よりも精巧な石器を作り、使用していた。
ホモ属に含められる前はピテカントロプス・エレクトス(Pithecanthropus erectus)と呼ばれていた。この学名はジャワ原人発見の際に作られた。ピテカントロプスはギリシャ語のピテコス(pitekos 猿)、アントロポス(anthropos 人類)の合成語であり、猿人を意味した。現在はピテカントロプス属は廃止され、ジャワ原人の現在の学名はホモ・エレクトス・エレクトス(Homo erectus erectus)であり、ホモ・エレクトスの亜種である。



ジャワ原人
(ホモ・エレクトス・エレクトス)
北京原人(ホモ・エレクトス・ペキネンシス)

インドネシアフローレス島で発見されたフローレス人ホモ・エレクトスである可能性が高い。
142~79万年前
前期旧石器時代 単発的に火を用いたヒト属がいたことを暗示する遺物


前期旧石器時代の遺跡から、単発的に火を用いたヒト属がいたことを暗示する遺物が見つかっている。例えば東アフリカの一部、ケニアのバリンゴ湖付近にあるチェソワンジャや、コービ・フォラオロロゲサイリには、初期の人類が火を使っていたと思われる跡がある。チェソワンジャからは142万年前の赤粘土製の土器のようなものが見つかっている。これが土器であれば、作るために400℃の加熱が必要だったと考えられている。

コービ・フォラのFxJjzoE遺跡及びFxJj50遺跡の150万年前の地層からはホモ・エレクトスの遺骨と共に変色した土壌が見つかっており、ここには植物の珪酸体も含まれている。ここで200から400℃の加熱がされていたと見られる。オロロゲサイリでは炉とも思われる窪みが見つかっている。この他、の微細片も見つかっているが、これも人類と無関係に自然に発生する場合がある。

100万年前 ドナウ氷期、ドナウ-ギュンツ間氷期

78万1000年〜12万6000年前 中期更新世 先行するカラブリアンと中期更新世との境界は、地球史上最後の地磁気逆転である松山‐ブリュンヌ逆転‎の起きた時期である。
80万年前 ギュンツ氷期(ネブラスカ)

50万年前 ギュンツ-ミンデル間氷期(アフトニア)、ミンデル氷期(カンザス)

40万年前 ミンデル-リス間氷期(イリノイ)、リス間氷期

現世人類との分岐直前(約47万年前)
ホモ・エルガステル

40万年前~4万年前

ネアンデルタール人
約40万年前に出現し、2万数千年前に絶滅したヒト属の一種である。

ネアンデルタール人は、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代石器の作製技術を有し、を積極的に使用していた。
シベリアアルタイ地方で発見された デニソワ人はネアンデルタール人の兄弟種である可能性が高い。
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ホモ・ネアンデルターレシス

ネアンデルタール人は25万から3万年程前まで生きていた。ネアンデルタール人が独立した種ホモ・ネアンデルターレンシスか、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスとしてホモ・サピエンスの中に含まれるべきかは議論が継続中であり結論は出ていない。

ミトコンドリアDNAの配列の証拠は大規模な遺伝子流動がネアンデルタール人と人類の間で起こらなかったことを示す。従って、それに基づけば二つの種は66万年ほど前に祖先を共有した異なる種である。

40万年前~25万年前、そして現在
ホモ・サピエンス

現生人類のホモ・サピエンス(サピエンスは賢い、知的を意味する)は25万年前に現れ現在に至っている。
 
人類の進化

47万年〜66万年前に上記ネアンデルタール人との共通祖先から古代型サピエンスが分岐した。

40万年前から25万年前の中期更新世の第二間氷期までの間に、旧人段階であった彼らが頭骨の拡張と石器技術が発達したようで、この事がホモ・エレクトゥスからホモ・サピエンスへ移行の証拠と見られている。

アフリカ単一起源説

ミトコンドリアDNAの分析では、現代人の共通祖先の分岐年代は14万3000年前±1万8000年。
ヨーロッパ人アジア人の共通祖先の分岐年代は、7万年前±1万3000年であると推定された。

30~3万年前
中期旧石器時代 ムスティエ文化(約30万年前 - 約3万年前)
アテリア文化(約8万2千年前)

25万年前 リス氷期

約16±4万年前
ミトコンドリ・イブ

約12万5千年前 火の利用
ヒト属による単発的な火の使用の開始は、170万年から20万年前までの広い範囲で説が唱えられている最初期は、火を起こすことができず、野火などを利用していたものと見られるが、日常的に広範囲にわたって使われるようになったことを示す証拠が、約12万5千年前の遺跡から見つかっている。 初期のヒト属による火の利用




7万5千年前~7万年前トバ事変に、インドネシアスマトラ島にあるトバ火山が大噴火を起こして気候の寒冷化を引き起こし、その後の人類の進化に大きな影響を与えた。大気中に巻き上げられた大量の火山灰が日光を遮断し、地球の気温は平均5℃も低下したという。劇的な寒冷化はおよそ6000年間続いたとされる。

この時期まで生存していたホモ属の傍系の種(ホモ・エルガステルホモ・エレクトゥスなど)は絶滅した。

トバ事変の後まで生き残ったホモ属はネアンデルタール人現生人類のみである。現生人類も、トバ事変の気候変動によって総人口が1万人までに激減したという。





7万から5万年前 出アフリカ説



衣服

衣服の起源をトバ事変に関連づける向きもある。ヒトに寄生するヒトジラミは2つの亜種、主に毛髪に寄宿するアタマジラミ(Pediculus humanus capitis)と主に衣服に寄宿するコロモジラミ(Pediculus humanus corporis)に分けられる。近年の遺伝子の研究からこの2亜種が分化したのはおよそ7万年前であることが分かっている。

つまり、およそ7万年前にヒトが衣服を着るようになり、新しい寄宿環境に応じてコロモジラミが分化したと解釈される。

そこで研究者らは、時期的に一致することから、トバ火山の噴火とその後の寒冷化した気候を生き抜くために、ヒトが衣服を着るようになったのではないかと推定している。





近年では、ヨーロッパに進出したホモ・サピエンスはネアンデルタール人と、メラネシア方面へ進出したホモ・サピエンスはデニソワ人と交雑したという研究結果も発表されている。

ヨーロッパ人日本人の共通祖先の分岐年代は、7万年前±1万3000年であると推定されている。




ホモ・サピエンス・イダルトゥ
ホモ・サピエンス・イダルトゥはエチオピアから発見されており、16万年前頃生きていたと考えられる。それは亜種として扱われてはいるが(ただしホモ・サピエンスの亜種分類法については学説上統一した合意はない)、解剖学的には現代人であり、知られているなかでもっとも古い新人段階の現代人である。彼らの直接の子孫がネグロイドであり、モンゴロイドコーカソイドはネアンデルターレンシスとの混血種であるらしいという最近の研究結果がある。これによると、イダルトゥは系統的にネグロイドに属することになる。

7万年前 ヴュルム氷期(ウィスコンシン)(最終氷期)、リス-ヴュルム間氷期(サンガモン) 最終氷期
とは、およそ7万年前に始まって
1万年前に終了した一番新しい氷期

地域によってヴュルム氷期
ウィスコンシン氷期と呼び分ける。

最終氷期の時に最も氷床が拡大したおよそ
2.1万年前を最終氷期の最寒冷期
最終氷期最盛期Last Glacial MaximumLGM)と呼ぶ。
最終氷期の最盛期には、
世界中で海面が
約120メートルも低下した
6万年前
Y染色体アダム
「人類共通の男系祖先」であるY染色体アダムは、20-30万年前の一人だと推定される。

Y染色体系譜を遡った場合に、人類共通の男系祖先とみなせる概念上の人物である
人類の進化 ホモ・サピエンス

トバ・カタストロフ理論
この学説は6万年前に生きていた“Y染色体アダム”や14万年前に生きていた“ミトコンドリア・イヴ”を想定した学説とは矛盾しない。

12万年~5万年前 オセアニアに人類到達
アボリジニ

ムンゴマン




紀元前40,000年頃、アボリジニーオーストラリアに渡来する。放射性炭素年代測定による考古学データによれば、42,000〜45,000年前。
紀元前48,000年頃
ホモ・サピエンス(現生人類)の出アフリカ

紀元前43,000年頃
ホモ・サピエンスの遺跡がロシアドン川畔で見つかった

紀元前30,000年頃
後期旧石器時代始まる。

3万年~1万年前
後期旧石器時代

クロマニョン人(4万年前~1万年前)
シャテルペロン文化
オーリニャック文化

バラドスティアン文化
グラヴェット文化
ソリュートレ文化
マドレーヌ文化
ハンブルク文化
アーレンスブルク文化
スウィデリアン文化


2万6000年〜1万1700年前 後期更新世 2万6000年〜(西暦2000年から数えて)1万1700年前 - 現在、タランティアン (Tarantian) の名称がIUGS-ICSで検討されている。
2〜1.8万年前 最寒冷期

2万年前
世界最古の土器
中国江西省の洞窟遺跡で世界最古と思われる2万年前の土器が見つかっている。

北海道大正遺跡群の調査によって土器が最初に料理に使われたのは1万4000年前であるとされている。
紀元前20,000年頃-紀元前12,150年
中石器時代 第一期 社会の形態は狩猟採集社会であった。この時代の遺跡は極めてまれであり、ほぼ貝塚に限られている。

ほとんどの地域の中石器時代は、小型複合燧石細石器と細刻器)によって特徴付けられる。漁労具、石製手斧、カヌー弓矢のような木製品が、いくつかの遺跡で見つかっている。

世界の森林地帯では、最初の伐採の痕跡が見つけられているが、伐採の本格的な開始は、農耕のための特別な土地が必要となった新石器時代初期であったと考えられている。

紀元前18,000年頃
ヒトの移動、メキシコに到達する。
紀元前18,000〜16,000年
最終氷期の最も寒い時期。海水面の高さが現在よりも約150メートル低かった。
15,000年前頃




犬の起源
Wayne and Ostrander や Savolainen らによる報告では、
「イヌのDNAの塩基配列に見られる変異が1匹のオオカミのみに由来する場合はイヌの家畜化は約4万年前
「複数のオオカミがイヌの系統に関わっている場合は約1万5千年前」という見解が提示されている。

田名部(2007年)は、アフォンドバ遺跡(約2万年前、ムスティエ文化)で発見された犬の骨に基づいて、この時期にオオカミとイヌが分化したことを支持している。

なお、現生人類(ホモ・サピエンス)がアフリカ大陸からユーラシアに進出したのは7~5万年前のことであり、一方、約20万年前に出現し、現生人類と共存していたネアンデルタール人の分布域は、ヨーロッパから中央アジアまでである。このことからも、オオカミの家畜化が東アジアで起こったものだとすれば、ホモ・サピエンス出現より前の10万年以上前に、ネアンデルタール人が存在しなかった東アジアでオオカミを馴化することは不可能である。

1.4万年前〜1.2万年前 古ドリアス期(小寒冷期)



完新世

最終氷期が終わった現在の完新世のことを後氷期と呼ぶこともある。
1.2万年前 アレレード期(温暖期) 紀元前12,000年頃、イヌの家畜化。
最終氷期が終わった現在の完新世のことを後氷期と呼ぶこともある。

紀元前12,000年頃、中国長江流域で陸稲稲作の開始(仙人洞・吊桶環遺跡)。
12,000年前

人類紀元

人類紀元(じんるいきげん、: Human Era)は、
紀年法のひとつ。HEと略される。
1993年地質学者チェザーレ・エミリアーニ  によって提唱された。

西暦紀元に10000を加えた数値で表される。例えば、西暦紀元2018年は人類紀元12,018年となる。

1.1万年前 新ドリアス期
この時期は最終氷期の終了に伴う温暖期である「ベーリング/アレレード期」と呼ばれる亜間氷期の後に 1300 ± 70 年間続いた気候寒冷期である。

ヤンガードライアス期の年代は暦年代で1万2900年前 - 1万1500年前、放射性炭素年代で1万1000年前 - 1万年前とされている。ヤンガードリアス期の後は完新世の「プレボレアル期」(亜間氷期)に移行する。
11,000~9,000年前

中石器時代 第二期
ナトゥーフ文化(パレスチナ~レバノン)


テル・アブ・フレイラ遺跡(紀元前9050年頃)
野生の穀物の使用を開拓し、それは現在の耕作に発展する。



新石器革命

農耕革命
新石器時代人類農耕牧畜を始めたことと関連して定住生活を行うようになった、一連の変革のことである。農耕・牧畜と定住のどちらが先かについては諸説ある。

農耕の開始による観点から農耕革命(のうこうかくめい、あるいは農業革命とも)、定住生活の開始による観点から定住革命(ていじゅうかくめい)、食料食糧生産の安定化による観点から食料生産革命(しょくりょうせいさんかくめい)などとも呼称される


紀元前10,000年頃、ホモ・フローレシエンシスが絶滅。人類はホモ・サピエンスのみとなる。
紀元前10,000年頃、アナトリア南東部ギョベクリ・テペ遺跡にて世界最古級の石造の宗教建築(神殿)が作られる。

紀元前8500年
新石器時代 磨製石器の登場

農耕の発展 約6,500年前-約6,000年前縄文海進地質学的には有楽町海進(日本では有楽町で最初に調べられたことから)、完新世海進後氷期海進(Holocene glacial retreat)などと呼ばれる。

紀元前4000年から3000年頃
人間と馬 ウマを人間が御すために使う手綱をウマの口でとめ、ウマに手綱を引く人間の意志を伝えるための馬具であるはみ(銜)がこの時代の遺物として発見されており、ハミは馬の下顎骨の第二前臼歯と接し摩耗痕を残すことが観察されるため、馬の家畜化を判断する指標として活用されている。

紀元前3500年ごろ、メソポタミアが発明されたが、馬車が広く使われるようになるのは紀元前2000年ごろにスポークが発明されて車輪が軽く頑丈になり、馬車を疾走させることが出来るようになってからである。
紀元前3500年ごろ 車輪 馬車

紀元前3000年頃の青銅器時代コロの原理から車輪が生まれ、それが紀元前2000年頃のの発明と結びついて、組み立て車輪の馬車が誕生した。


紀元前2800年から2700年の古代メソポタミア遺跡から、馬車の粘土模型が発掘されている。この模型は2頭立て2輪の戦車(チャリオット)であった。

戦車は古代オリエント世界と古代中国の商(の墳墓から戦車と馬の骨が多数出土)から時代などで広く用いられた。

紀元前3500年ごろ
青銅器
メソポタミアエジプトでは紀元前3500年ごろから青銅器時代がはじまった
紀元前3500年頃
文字の発明
紀元前3000年代




金は紀元前3000年代に使われ始めた。最古の金属貨幣は紀元前7 - 6世紀(紀元前670年頃)にリディアアリュアッテス2世王により造られたエレクトロン貨で、天然の金銀合金に動物や人物を打刻している。金は中国で時代に已に装飾品として使われ、春秋戦国時代には貨幣や象嵌材料として使用された。
古代エジプトヒエログリフでは、紀元前2600年頃から金についての記述が見られる。ミタンニの王トゥシュラッタが、通常は粒として請求をしている。エジプトとヌビアは、史上でも有数の金産出地域である。『旧約聖書』でも、金について多く触れられている。黒海の南西部は、金の産出地として名高い。

金を利用した物としては、ミダスの時代にまで遡ると言われている。この金は、前述のリディアでの世界で初めての貨幣成立(エレクトロン貨)に大きく影響を及ぼしたと言われている。

金は、美しい光沢を含めて有用な性質を多く持つ。また精錬の必要がない単体の金そのままで自然界に存在しているため、精錬が必要ななどよりも早く人類が利用していた金属とされる。しかし産出は非常に限られていたため、有史以前から貴重な金属、貴金属として知られていた。また、そのままでは金として利用できない金鉱石であっても、アマルガム法や灰吹法などの冶金法によって取り出すことができた。

長い年月を経ても変化しない金の性質は神秘性を産み、不老不死との関連としても研究された。占星術においては、中心に点が描かれた円の記号は太陽を表すと同時に金も表し、これは古代エジプトヒエログリフにも見られる。このように、金は歴史とともに利用価値の高さゆえの豊かさと富の象徴であり、金そのものや鉱山(金鉱や金山)の所有、採掘の権利などを巡る争奪・紛争が、個人間から国家間の規模に至るまでしばしば引き起こされた。
紀元前3000年ごろ 紀元前3000年ごろには、人間の生活舞台に登場していた。
古代において銀が利用され始めたころは、銀の価値は金よりも高いことが多かった。
古代エジプトや古代インドにおいては特にそうであり、古代エジプトにおいては金に銀メッキをした宝飾品も存在していた。

これは、金が自然金としてそのまま産出することが多いのに対し、銀が自然銀として見つかることは非常にまれであったためである。しかし精錬の方法が向上してくるに従い、銀鉱石からの生産が増加して銀の価値は金に比べ低いものとなった。

とはいえ、銀の産出もいまだ希少なものであり、金と並んで各文明圏において貴重なものとして扱われることに変わりはなかった。

紀元前3000年 青銅時代の特徴 青銅には、適度な展延性と鋳造に適した融点の低さや流動性があり、が銅よりも安価かつ大量に供給されて普及する以前には、もっとも広く利用されていた金属であった(青銅器時代を参照)。

銅は柔らかくて道具として使えないが、スズを混合することで銅より硬くなり、研磨や圧延などの加工ができる。また木炭を使った原始的な炉で熔解できたので、古代には銅鐸などに広く使われた。

紀元前3000年頃、初期のメソポタミア文明であるシュメール文明で発明された。イラン高原は、銅と錫、燃料の木材が豊富であった。また、多くの銅鉱石は錫を同時に含むので自然に青銅が得られた。この場合、産地によって錫などの配合比が決まっているとともに、錫と同時に添加されることの多い鉛の同位体の比率が産出鉱山ごとに異なるので、分析によりその原産地を推定できる。

より硬く、より安価な鉄の製造技術が確立すると、多くの青銅製品は鉄製品に取って代わられ、青銅器時代から鉄器時代へと移行していった。また、貴金属製品としても金や銀、その合金のほうが主流となった。

しかしながら鉄より錆びにくいことから、一部製品には鉄器時代以降も長く使われた。例えば建築物の屋根葺板、あるいは銅像といった用途であり、特に大砲の材料としては19世紀頃まで用いられている。これは大砲のような大型の製品を材質を均一に鉄で鋳造する技術が無かったからであり、青銅を砲金と呼ぶのはこれに由来する。しかし、19世紀以降の製鉄技術の進歩によって、鉄製大砲へ移行することとなる。


紀元前2300年~1000年頃
アンドロノヴォ文化





シンタシュタ遺跡
冶金関連遺跡からみた中央アジア北部 における専業の初現と度合い.pdf


考古学から捉える社会変化 ─モノづくりと専業化─.pdf
紀元前2300年から1000年頃の青銅器時代に、中央アジアステップ地帯からシベリア南部の広い範囲に見られた、類似する複数の文化をまとめた名称である。

地域的に少なくとも4つの文化に細分される。カスピ海アラル海北側の南ウラル地域から始まり、東および南に拡大したとされる。

シンタシュタ・ペトロフカ・アルカイム文化英語版(Sintashta-Petrovka-Arkaim):ウラル南部、カザフスタン北部、紀元前2200-1600年頃。チェリャビンスク州シンタシュタ遺跡は紀元前1800年頃、近くのアルカイム遺跡は紀元前17世紀とされる。

アラクル(Alakul)文化:アムダリヤシルダリヤ両川間のキジルクム砂漠、紀元前2100-1400年頃。

アレクセーエフカ(Alekseyevka)文化:カザフスタン東部、紀元前1300-1000年頃の青銅器時代末。トルクメニスタンのナマズガ(Namazga)VI期(バクトリア・マルギアナ複合に含まれる)と接触した。

フョードロヴォ(Fedorovo)文化:紀元前1500-1200年頃、シベリア南部。火葬拝火の証拠が見られる最初期の例。

紀元前2千年紀初めから半ばにかけてアンドロノヴォ文化は東への急速な拡大を見せた。アルタイ山脈では銅山が採掘された。
 埋葬には石棺または石囲いが用いられ、さらに木槨で囲まれた。生活様式はなどの牧畜が中心で、農耕も行われた。

ベシケント・ヴァクシュ(Beshkent-Vakhsh)文化:紀元前1000-800年頃、タジキスタン



紀元前1000年ごろ

紀元前1000年ごろ、広い草原地帯をヒツジ、ヤギなどの家畜とともに移動する遊牧という生活形態が、著しく効率化し、キンメリア人スキタイ人などの騎馬遊牧民が黒海北岸の南ロシア草原で活動した。
600 BC
紀元前6世紀 拝火教
ゾロアスター教

ゾロアスター教の起源は古く、紀元前6世紀アケメネス朝ペルシアが成立したときには、すでに王家と王国の中枢をなすペルシア人のほとんどが信奉する宗教であった。
406年? - 453年
アッティラ













紀元前11千年紀以前

データが重く成りすぎたのでパート2に続く