先日の金曜の高橋源一郎さんの出演する「すっぴん」という番組で、
花や植物の名前を覚えた話をしていた。
若い時から幾度も訪れていた鎌倉の花や山を漫然と眺めていた時は、
ただ何色の花が咲いている、緑色の山だとしか思わなかった。
「名」を覚えるとそれまでの景色が一変したという。
様々な樹木の種類を理解し見る山の景色は色鮮やかになったという。

その次のコーナーで夏休みに小学生にお薦めする本の中に「ゲド戦記」があった。
己の内側の闇との戦いという説明だけで詳しくは解説していなかった。

ゲド戦記では「真名」を手に入れることが魔法の基本であるともいえる。
真名は本質だ。それを知ることで、世界のありようは違っていく。
形の上辺だけに作用する力を使うのではなく、その本質に働きかけることで
魔法は成しえると私は学びました。

この作品から大きな影響を受けているのが「風の谷のナウシカ」だ。


ナウシカは城の地下に腐海の植物の温室を持っていた。
腐海の植生や動物の名を知り営みを研究した。
そしてその森が唯の忌むべき自然ではないことを知った。
その物語のはじめから彼女には他の人とは世界が違って見えていた。
ナウシカは忌み嫌われる異形の怪物である巨神兵に「名」を与える。
名を得た巨神兵は自我を得て人を超える英知と力を自ら成長させ、
本来の巨神兵へと成長していく。

スケールが小さいけ話だけどこのブログで紹介しているように
横浜港の海コンの会社をリストアップしてみるとか、
ヤードのあれこれを知るとこれがやっぱり違って見えるんだよね
例えばコンテナには船社のブランド名かリースバン会社の名が書かれている。
そのブランドが何処のヤードを出入りするのか知っていれば無秩序に
行き来する海上コンテナのセミトレーラー達の動きに流れが見えてくる。

車の話も同じで何がどうなっているかを知ると何をどうすれば良いか分ってくる。
何も整備士や設計者になる必要はない。知っているだけでも扱い方が変ってくる。
ヂーゼルエンジンはグローが発熱し圧縮比が上がって初期の爆発が始まる。
だからキーを廻して2,3秒待ってスターターを廻す。

各部の部品の名称を覚えて、更に作動原理や物理特性を理解すると
機械は別のものに見えてくる。
その為には国が国民に無償で教育を施さなければ成らない義務のある
義務教育期間の知識だけでもしる必要がある。
(国民が無償で教育を受けなければ成らない義務は無い。私学でもいい。)
いつでも必要な時に勉強を始めれば良いだけのことで、
歳を経てからそれを始めても良い。
他者をくみしきたいようなプライドを捨てれば簡単なことだ。

若者は語彙が少ない。若者言葉という言い方はそれを肯定しようと云う概念だと思う。
例えば「ヤバイ」の言い方をイントネーションを変えるなどして無限に意味を持たせる。
若者言葉とは言うけど、若者が全員同じではない。ちゃんと言葉を知ってる人が沢山居る。
若者言葉がカッコいいとか、若さへの憧れでそれにあわせようとする大人というのは
きちんと言葉を理解していないんだと思う。
冗談や合わせる形でそれを使うことはあるけど、中には若者言葉のレベルのまま
年食ってしまった大人も大勢居る。

若者言葉を知らないのか?と小馬鹿する若者が居るのだが、
それは「自分に合わせろ」と言っている。
コミュニケーションの基本は相互理解だ。それを一方的に自分に合わせろといっている。
言葉を知らない幼児に対しては、大人が合わせてあげる。
それが成長しても同じなのがコミュ障だ。
言葉を知らない事は恥かしい、だから本を読もうと思うのか、自分に合わせろといい続けるか否か。
そこが分かれ目だ。
脳の機能的にADHDなどでそれが出来ない人も大勢居るので、
努力すれば何事も適うなんて事は言わない。
ただ、そこは出来ない人には理解して欲しい。

意思疎通が出来ない時に「常識が無い」なんて怒鳴り散らすことが散見させる。
常識と言っておきながら実のところ、そこの社内だけとか地域内だったり、
自分ルールを云ってる人は大勢いる。
自分に合わせて欲しい第一次反抗期の幼児の気持ちじゃないかってこともね。

実際に知識が貧弱な相手にそういうことを私がいう事もあるけどね。
だから、そういうものを見ているとそれは違うだろって突っ込みを入れることもある。
分ってもらう為には言葉を重ねて下地を作り、更に説明しなければいけないこともある。
会社の業務無線をやってるときでも同じだ。
一個一個、個人個人の情況が変るんだ。
それを一概に良し悪しは言えないんだが、十羽一絡げになんでもかんでも
簡単にいう事が正しい事だとは思わない。
ツイッターでは140文字制限だから、言葉を知らない若者や言葉を知らない大人には
良いわけになってやしないかな?この頃。

山を見て絵を描こうとする。
植物の名を知り体を知っていれば、緑一色のお椀を書いたりはしないだろう。
杉、松、銀杏、楓、ぶなの木、そして山肌の角度は尾根、それが見えているなら、
きっとそれを描こうとしてしまう。
見えているものを見えているように描くというのはそういう事だ。
名を知り概念を識るということは視界の利かない雲の中を飛ぶ飛行機が、
レーダーで見えない山を回避していくのと同じ事にもなる。

一つの光景を見てるのに全く違うものに見えてしまうというのは、
思考の補正が掛かるからだ。
それは自然の風景に留まらず、人の営みの中でも同じ事が言える。

マスコミで起こってる事がインターネットでも多くなってきている。
情報を間引いて伝達力を上げるという事だ。
山を描くなら緑のお椀として書けばバイト数は減る。
人間の脳みそも同じ。
記憶する容量も減る。日々多くの人が多くの情報を摂取するにはそれは好都合だ。
そして、本質は失われていく。
ツイッターだとして、フォロー数フォロワー数を稼ぐとツイートログが
非常に多くなってしまう。このログを安易に見るならそれぞれの文面は短い方が良い。
つまり、多くの情報を摂取する為に得たメディアが増えすぎると
本質を得ないまま上辺だけやデマだけが拡散していく。
簡便な怒りの感情などが良い例だ。
情報チャンネルが増えるほど、情報貧民になって行く、なんてことが起こりつつある。
mixiを悪く言ったりするのがちょっと前に多く見られた。
mixiを悪いものと感じている人は少なからずmixiを悪くしてしまった人じゃないと思う。
痛い言動をやっちゃうのは若いうちは仕方ない。ただ、その自覚無く、自分が悪いのではなく
取り囲んでいた世界が悪いなんて知ったかぶって大げさな台詞は吐かない方が良い。
ツイッターも何処かへ向かう過渡期で、今が一番痛い人が多い時期なのかもしれないし、
このままエスカレートしてしまうかもしれない。

広く浅くではなく、どこか一個掘り下げた情報を得ることで他のことも理解できるかもしれない。
それが真名を識るという事ではないだろうか。

私は幾つかネット上にアカウントを持っている。
中にはそよ風のまじない師を名乗るものもある。
できるなら私もゴントのOgionみたいに生きてみたいなと思います。

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昨夜のブラタモリでは秩父を訪れていた。
断層を見て喜ぶのは、そこに見えている岩にイメージ補正が掛かって
億年単位の時間の経過や移動が見えてしまっているからでしょう。
鉄道オタクとかもマニアじゃないと分らない予備知識があるから盛り上がれる。
誰でも、そういう風に盛り上がれるのさ。

情報格差の問題だけど、端末機器を持ち摂取するチャンネルを増やすことが
必ずしも情報の豊かさではない。
フェイスブックでもツイッターでも興味関心のあるアカウントを沢山フォローして、
商品情報や時事ニュースを多く摂取していると如何にも何事にも精通しているような
錯覚を抱いてしまう。

一つ一つ、見出しのフレーズや原稿用紙1,2枚の情報を断片的に浅く記憶していく。
その浅い記憶を繋ぎ合わせて何が分るかと云うと、かえって整合性の無い話になってしまう。
ネットでは思慮の浅い批判は広まりやすい。
政治ネタや不倫報道で考えてみると良いだろう。
醜聞としてのカテゴリーだとして個別に見た場合に、
これはどうでも良いのではないかという事柄が凄く多い。
一部の人にとっては感情移入できるとして、長年つれあった夫婦間の問題を
若者が理解もせずにテンプレートに従って叩く。
与党叩き、野党叩きで、政治思想のかけらも無いのに感情論が飛び交い、
その両者の罵詈雑言を共にRTしたりしてて大きな矛盾を感じてしまう人も居る。

情報の表層部分だけは尋常ないほど倉庫に入れているんだけど、
それを利用する事は出来ない。思慮が浅くてその全部を繋ぎ合わせた
整合性の無い事を云う人がネットでは多いなと思う。

彼らの批判を聞いていると暴論は数行しかないから、それを立て続けに並べてしまうと
論旨のすり替えを繰り返してようになる。それを指摘しても気が付いてくれない。
要するにゴミかすのような情報は沢山持っているのだけど、それを生かすことが出来ない。

何かの専門分野が一個でもあれば良い。深く掘り下げてそこからある程度の
確信や方向性を得ている人は順次他の情報にも対応していくものだろうと、
私は他の人を含めて同種の人に対して感じている。

バイクの話だと、スペックばかりの車を乗り継ぐことより、125ccのオフ車を
長く乗車し維持管理した方がある程度の基礎は出来る。
その後に大きなバイクに乗るたびに乗りこなしていくなんて事があるんだ。
新車が出るたびに次々に乗り換えるものお金や情熱があってそれはそれで
結構な話ですけど、ケチなプライドは高いけど語るものは雑誌に書いてある誰かの話で
プロの何々さんはこういってるとかスペックがどうだとかは聞く必要は無い。
それは雑誌を読めば良いのですよ。
自分の感動を伝えることが出来ない人は同種の人としかつるめない。
所有するだけが目的と云う楽しみもあって、それはそれで良いですけどね。
乗らずにカスタムだけして眺める、それも趣味の一つだよ。
ただし、もっと拡散するコミュニケーションは成しえない。

お店で作ったカスタムバイクの自慢のホームページより、
旅行記やメンテナンス日記の方が読まれていると思うんだ、俺はね。

カスみたいな情報を大量に抱え込んで分析できず活用できないなら、
情報を所有していないことと同じだ。己を豊かにしているとはいえない。

情報に乗り遅れまいとメディアとチャンネルを増やす。
浅い情報を大量に仕入れて「まとめ」的な誰かの結論や見出し広告のキャッチフレーズ、
なんか大量に持っていてもイザ意見を言おうと「正解そうな答」を
羅列してみると整合性がない、矛盾する。
自分で考えて取捨選択してるはずなので、強引に自分に言い訳して無茶な事を言い出す。
絶対に自分には非がないはずで、誰かが悪かったんじゃないかと
犯人探しを始める。前提として自分は誰かに怒られたり蔑まれる事は嫌だから。

そういう状態なら情報の課題な摂取は、情報摂取していないよりも貧しい。