人間が大人になるときに何がキッカケになるだろうか。
個々人によって発動のキーは違うだろう。
多くの人にとって大きな原因となるのが「挫折」だ。
思い通りにならない世界との対峙、それは幼少時からそれは徐々に始まる。
そして「モノゴコロ」が付き、少年期に入り同世代と競い自分を知っていく。

ネタバレを書きます。未視聴の方は読まないでくださいね。


物語は
子供たちの独立、世界との対峙、世界を改変し支配する夢、挫折で構成されている。
鉄華団を立ち上げ独立した主人公達は自分たちの組織で商売をはじめ、
一見優しい大人たちに優しくしてもらって地球に行って政治と云う大人の世界に触れる。
そして子供にありがちな理想を唱えて暴れ回り、結局大人に組み敷かれる。

それは人が大人になっていく過程そのものだ。
火星の王、地球権の覇者になる、そんなチープな夢を実現する話ではない。
この十五年くらい、そんなアニメ作品とラノベに溢れている。
馬鹿馬鹿しいくらい子供の妄想のソードアートオンラインとか進撃の巨人なんてのが記憶に新しい。
子供が、本当は主人公で凄い力を秘めて居るのだが、この現実では受け入れてもらえない。
その真の力を力を発揮し、周囲の大人とその世界を支配していく。
それが視聴者の多くの願望であり、それを具現化することがクリエーターの仕事であるようだ。
だからそこに教訓あるいは何かの比喩や人生のヒントになるようなものは何も無く、
文学作品よりも何段階も格下の小学生の作文レベルの「シンデレラの物語」という事になる。

自分が子供であるという自覚もありつつ、しかしどんな大人よりも凶暴で強力で、
だからこそ所属する組織の支配者になって外敵を打ち砕いて、「みんな」という顔を持たない
何かから「認めてもらう」人に成りたい。
劣等感は誰でも感じるしそれに抗う努力をする。それをせずただ被害者であると声高に叫んで、
被害者は正義だから誰かに何をやっても良いという論理がトラブルの時に殆どセットになってきている。
極端な言動を好み行動はエスカレートし他人がそれを忌諱する事に特別視されているという誤解を抱き、
更にエスカレートしていく。
つい最近、幼女戦記という作品を30秒くらい見てやめたけど、
そういう記号で話の先が見えたので視聴をしない事にした。

オルフェンズも途中までそのプロットは揃えている。
一個づつの要素で言えば、それぞれは悪いことじゃないんだけど、
なにせシンデレラストーリーが多すぎる。その中にあって、
セカンドシーズンに入ってからのオルフェンズは徐々に変質していった。
それはファーストシーズンの最後の重要キャラの死亡から始まることだけど。

次々に死亡していくキャラクターというのは「挫折の象徴」だ。
主人公達がいなくても世界は回っていく。
それが世界だ。

暴力も理想も世界を変えない。
そして変えていくには順序が必要だし時間が必要だ。
そのプロセスを踏んでいかなければ世界と対峙することは出来ない。



アカツキ、オルガ、ビスケ、アキヒロ、マクギリス、そして他のキャラも主人公である。
腐女子受けするような男の子達や男の子の好きなセクシーで暴力の強い女の子とか
売れるような要素もしっかり入れている。

そういうビジネス的なところは富野良幸作品とは大きく違う。
ガンダムと云うビッグタイトルで比較される要素は多々ある。
皆殺しの富野といわれた富野監督だが、ちょっと質的に描き方が違う。
それはビジネスライクな作品製作手法が確立した現在と発展途上期の暗中模索との差でもある。

私が富野作品で最も好きなのは「伝説巨神イデオン」だ。
その作品でキャラが皆殺しになっている。キャラと云うか、人類が皆殺しになっている。
この場合、先に書いたオルフェンズの挫折の象徴と云うのとは違う。
イデオンは日本の近代史を批判をこめて下敷きにしてこの文化の批判を行っている。
この文化の行き着く先は滅びしかないというメッセージを描いた結果、ああいう最後にならざるを得なかった。
当時のベトナム戦争終結から4、5年くらいで、
太平洋戦争敗戦から35年くらいで個々の大人のクリエーターが考える芸術作品とはなんであるか
という思いから、あのイデオンという奇跡の作品が生まれた。

アニメ製作には沢山の人が係わっている、脚本家も一人じゃない。
そこに携わるスタッフ全員の気持ちがあそこに入っていて、
単なる子供向け娯楽作品という枠に留まらなかった。
それはファンのサイドを見ていて同じだったんじゃないかと思う。
反戦とか日本近代史と戦後史観はこの2017年では大きく違う。
求められている作品の内容が全く違うし、受け手にそれを理解できるだけの教養が無い。
社会の風潮がそういう畑を作っていた。

SF作品とは現実設定では書きようの無い比喩や暗示や教訓を描く為の手段であった昔と
単に設定大好きオタク受け狙いの今では同じようなやり方は通用しない。
私もそういう作品は好きなのが多い。全部駄目って話じゃない。
最初にタイトルをあげてどれが駄目って書いたけどね。

 人の記憶に残って人生で局面ごとに思い出してその内容を反芻し、
自分の行動の左右を促すような作品はごく少ない。
自分を追認してくれるだけだと、反省したり目標としたり肥料になるような事は無い。
言い訳を補填するだけだ。

反芻するような作品の例をファーストガンダムで言うと「ククルスドアンの島」と
「潜入女スパイ」「大西洋、血に染めて」、のような逸話を私は時々思い出す。
ランバ・ラルの言ってた事が徐々に染みてくる。
アムロとシャアって実のところもう感情移入できない。歳を食ったからね。
カイ・シデンもまた、大泣きして現実を受け入れる。
あそこをキッカケに変っていく。ちゃんと挫折を受け入れたんだ。
何時までも俺は悪くねぇとか人の所為にしたりしない、自分の責任の自覚という事だ。

「本当はやれば出来る子なんだよ」と優しく慰めて欲しいだけだなんてものは、大人になったら必要ない。
必要な人というのは大人になっても精神が子供のままである人だ。
「少年の心を持った大人」と「少年の心のままの大人」では全く違うのだ。
前者は建前と本音があり、後者にそれは無くて我侭を言ってるだけ。
俺の思うようにならないのが気にくわねぇ~~と暴れる成人というのは
進撃の巨人の主人公やキリト君を思い浮かべる。そして結局かれらは敵をやっつける。
オルフェンズは破れる。

ユニコーンガンダムを私は途中で観るのをやめた。はっきり言ってつまらない。
なんで群像劇が家族劇に摩り替わってしまったんですか。
数家族しかいない小村の話ですね、あれは。
それって視聴者の認識できる全世界のサイズ、認識できる人間の数があの人数だけだという事だ。
つまり小学校の級友と家族くらいの人間関係しか所有していない子供向け作品ということ。
少年の夢物語、冒険忌憚である。おもちゃ販促作品ですな。

そういう訳でこの時期に私が見たアニメの中では、オルフェンズは面白いほうだった。
オルフェンズの何処を切り取って何処が面白かったかというのは、
時間が経って受け止め方が変ってくるでしょう。
今の時代、心を持った作品とかメッセージを秘めた作品というのはなかなか少ないですね。


視聴者に媚びるような作品制作を続けていて良いんでしょうかね?
オッサンが作ってるんだから、オッサンが活躍するような、自分を主人公にしちゃう
スタローンとかシュワルツネッガーの作品みたいなのがあっても良いんじゃないか?
ランバ・ラルが主人公でも良いんじゃないか?
彼女とならず者一家を率いて暴れまわるお話w
一つの提案としてここに書いておきますよっ

追伸
前回のオルフェンズの日記で岡田磨里作品と書いたけど、ちょっと良い過ぎかもしれない。
訂正を入れるかもしれません m(_ _)m