目覚ましテレビを波止場食堂で見ていた。
伊能君がけん玉に挑戦していた。

それを見ながら原体験について考えが走っていった。
最近のゲームでは、映画風の動画シーンの挿入が数多くある。
早くゲームを始めたくてもムービーの挿入がウザい事もある。

現在のゲームクリエーターは映画を見て育った。
週に4回か5回くらいテレビで映画をやっていた。
今はあまりない。

子供達にとって映画風という受け止め方はしない。
ゲーム風のムービーが映画にも入ってるんだ、と感じているはずだ。

ETS2でもグランツーリスモでも、実際に運転経験があるとシュミレータだと感じる。
子供はどうだろうか。
ゲームはゲームとしてしか受け止めない。
大人になった時、車を運転してゲームみたいだなと思うだろう。
実際にぶつけて壊れるという事を初めて知る。

子供時代にラジコンでも、ガンプラでも爆竹でぶっ飛ばすとか不意に実物を壊してしまう、という事が現代の子供にどれだけ経験できるだろうか?
それが無いまま、小刀で怪我をする事もなく育ったら、リアリティの意味が分からないで育つだろう。

実際、そういう頭デッカチな人間は今でも多い。
原体験の豊富さが子供を大人にする。

親が提供するものとして学力か高価なゲーム機なのか。
そういうものを与えれば手がかからない。
ディズティのビデオを見せて楽なのよ〜〜
それは大切なんだ、親だって大変なんだから。
今はディズニーのビデオではなくスマホを見せる親が多いそうだ。電車の中で泣き止んでくれるらしい。


可愛い何かを見せるのはいい手だが、可愛い猫や犬や鳥という原体験の有無が無ければ、心に響く事は無いはずだ。
親としてみれば「教えた」つもりになってるだけで、当人は全く何も感じない。

触れ合い動物園の様な経験が無く、バーチャルリアリティを与えても当人にとっては殆ど価値の無い風景としか残らない。

こんな子供に育てたつもりは無い。
その親と子の意識の差は、原体験の量の差が1つの要因だろうな。

小学生の私は書道塾の帰り、友達と大きなナメクジを見つけた。
友達が塩をかけて溶けるか実験すると言い出した。
私は乗り気では無かったけど、結局一緒に家から塩を持って来て何度も何度も振りかけて溶けない事を知った。

全く酷い事をしたと思う。

ニュースを見ていて犯罪の話、職場絡みやネットの書き込みを見ててよく憤る。
それはナメクジに塩をかけたらどうなる、そんな程度の事を加齢しても理解出来ない大きな子供たちが引き起こすトラブルだと感じる。

父親と池に行ってラジコンの船を浮かべて遊ぶ。
そういう事が子供には大切なんだろうと思う。
その船が沈んでしまったら、喪失感という大きな経験を得るだろうな。

私は雨上がりの廃校のグランドの水溜りでサンダーバードの秘密基地やウルトラ警備隊を真似て潜水型の滑走路を浮かせたり沈めたりしてたのを時々思い出す。

ウドを切る時に誤って太腿にナイフを突き刺した傷は今も残っている。
ゴミ焼きの炭が出来る過程観察は面白かったな。

今はどうか知らないけど、田舎ではあんまり学習塾がない。勉強の出来る子は部活なんかを中学2年、高校2年までしっかりやってて残り一年で猛烈に順位を上げる人は多かった。

勿論、がっつり受験勉強をしている人もいる。ただ、そういう追い込みが出来る頭の良い学生というのは、定期試験の直前にさらっと一回テスト範囲を読んで理解して高得点出しちゃう様な感じだ。

確かに成績あげて良い学校に行くことは大切だ。ただ、本人の能力を超えてテクニックだけで合格し身にそぐわない会社やコミュニティに属するというのは、その先辛いんじゃ無いかと思います。

高みを目指す事は悪い事じゃ無い。
しかし、あまりにも薄いスローガンに洗脳されていやしないかと思う事がある。

MMORPGなんかやってて高みを目指すんだなんてのは典型的だと思う。誰よりも凄いゲームプレイヤーになるんだ、なんて話。

私はそういうのに悪い教育の見本だと感じる。
スペックばかり語り自慢と蔑みを口にするばかり。恐らくゲームにうつつを抜かしてるいうではそんなに競争の勝者では無く寧ろ敗者で劣等感が強いから、この分野くらいはヒエラルキーの上位にいたいという気持ちが強いんだろうと感じてしまう。

落ちこぼれなのに落ちこぼれを小馬鹿にする。そんな事が運送業界でも非常に多い。

私は地元のそれなりの高校に行き、すっごく勉強の出来る人らを見て同じことやったって競争についていけないと早々に諦めてしまった。
人間にとって大切な事は勝つことだけでは無いと思います。

勉強が出来るか否かの大きい要因は知能も大切でしょう。加えて根気と持久力が大切だ。
体力と言い換えても良い。
そして読み書きを好きになる事。

私は子供の頃、1人で机に向かうより食卓で母親が家計簿を付けてる横で勉強させられていた。それ以前は読み聞かせして貰った絵本を1人でいる時に何度も読み返す様な子供であった。
多分、それが小中学時代の成績をあげたんだと思う。

秒刻みのスケジュールに管理されるより、そういうまったりした時間が大切だったんじゃ無いかな。

沢山の原体験が人間を作る。
そう思います。

世は常に心無い人の醜聞で満ちている。
そうなら無い様にする1つの方法は、原体験豊かにして感受性を育み共感性を得る事なんじゃ無いかな。

発達障害がある場合、そうはいかない。
それは完全に医学的アプローチをした方がいい。


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私が一角のものでもなんでも無いけど、少なくとも何かはやってるのはこのブログを読んでる人は承知してるでしょう。
人間は色んなありようがあって良いと思う。

この海コンのクズのドライバーども、底辺のボトムズなのに自分はエリートドライバーだなんて言ってるアホが時々いる。
エリートというのは寝ずに勉強して寝ずに働く特殊訓練を受けた人達だ。
エリートであるから特権が貰えて然るべきだとクズのドライバーはいうのだけど、まず勤勉に働けと言いたい。
そしてエリートだったら、リタイヤする迄特権に見合うだけの収益稼ぎ出す為に寝ずに働きなさい。
自分が儲けるだけじゃ無く広範囲に利益を産みなさい。

出来ないなら黙ってろ。という事だ。
もっと気楽に行きて行こうよ。