自分の信条を上手い言葉で表すことが出来ないでいた。
さっき、ちょっと思いついた言葉がタイトルの言葉です。

コンビニでドリップコーヒーを買い、出る前に後ろの漫画と本の棚を見たら
「君に届け」の最新刊なのかな?があった。
まだ続いてたのか。深夜アニメは好きだったけど、漫画は読んだことが無い。


「君に届け」は高校生の女の子が主人公で同級生の男の子と仲良くなる話です。
そういう話は多いし、展開にはキリがある。
だからまだやってたのかという想いがよぎった。

高校生の恋愛漫画多い。
なんの変哲も無い少年少女、個性がまだハッキリしない少年達の物語。
こういうものは書くのが凄く難しい。
趣向も人それぞれだから、合うか合わないかもある。
私はこの作品はとても惹かれた。
私が中高生ならこういう作品をマニュアルにしていたかもしれない。

コンビニの雑誌の棚にはマニュアル本が多く並ぶ。
投資から処世術から何から何までマニュアルが存在する。
コンピュータのマニュアルならPCを買ったら買うだろう。
トラックを乗り換えれば、車載しているマニュアルはざっと読むだろう。
携帯電話、スマホ、LINE、のとてつもない薄い内容のマニュアル。
世の中マニュアルで溢れている。
国家が国民に教育を受けさせる義務あって、それがだいたい行き渡ってるこの国ならではですな。

私もマニュアルは好きだ。しかし、モノによっては全く読まない。
それははじめは取っ掛かりに読まないとどうにもならない。
でも、繰り返し勉強してきたことなら何冊も読む必要はない。
自分なりの経験則も出来上がる。
勉強を始めて3ヶ月でマニュアルを読むのを終わるのか、
3年で終わるのか、30年で終わるのか、それは物事によるでしょうね。

そして、私はマニュアルを作るのは好きだ。
後輩・後進に教えるのが好きだし、それは自分のスキルを高める。
時々あるのだけど、端にも棒にも引っ掛からないような未熟なモノに
他人のマニュアルや定型文を見せられて、あなたは間違っているとか言われる。
だからさ、私は私のマニュアルを作っているし、見せられるマニュアルはとてつもなく
初心者向けの内容である場合が多い。
彼らはとにかく私に上から意見をしたいようなんだな。
やり込めてやりたい、ただそれだけの場合が多い。
そう思うのならば、自分でマニュアルを作って私に見せなさい、
一体いつまで他人の言葉を借りているの?
パッチワークで都合の良い言葉を並べるだけでは論理の矛盾も多い。自分で語ってごらんよ、
と言いたいのですね。

世に溢れたマニュアルを見ていて良く思うだけど、それはそれを書いた人にとっては
真実かもしれないが誰にとっても普遍の真実であるとは到底思えない。
これは私が作るマニュアルにも同じことは言える。
地域と時間軸がずれると全く役に立たないものが非常に多い。
100年前の日本人と現在と100年後の日本人のメンタリティはそれぞれ全く違うと思うのです。
私が18歳の頃と現在の世相と比べて、たった30年でも相当違う。

例えば、一軒家を持つことが人生の最大の夢であるか否か。
憲法問題とかに限らず、恋愛観や価値観の主流の考え方も大分替わってしまったと思います。
マニュアルや手本と云うのは時代や地域で別のものが必要になる。
前時代の定評のあるマニュアルが何時までも正しいわけじゃ無い。
だから世代毎に作れる人が作れば良い。

よく思うんですけどね、自分の意見を持ってない成人が多い。
何かの意見を言うのに他人の言葉を借りる人が多い。
有名な専門家のだれそれのが言ってる、そういう権威を多用する。
或いは多数派だから正義である的な話だ。

俺はさ、10代の子供ならそれでも良いと思う。
20代の後半ともなれば大概社会に出ていて、それなりに仕事を覚え始めてプロの考え方を得てくるだろう。
でも、40歳でも50歳でも、60歳でも「思想」の様なものがあって、それを自分の言葉に出来る人は案外少ない。
そういう人を見て憧れたり手本に出来るだろうか?
私は出来ない。
私は私が思う何かに近づこうと努力している。
他人から見て全く成果が上がっているようには見えないだろうから、
そこはあんまり突っ込まれたくはないのだけどね(苦笑)

例えば、オートバイに乗ってて、腰でバイクに乗るというようなこと。
上半身の力を抜いて猫背で乗車してる人はレーサーレプリカに乗っても
手首が疲労しにくい。
そういう姿勢をとってるライダーは乗れてる人だろうね。
これはお手本といえる。
どんなに高価な車両に乗っていても、高額なカスタムを施したとしても、
屁っ放り腰でライディングしてたらカッコ悪い。それがバイク乗りの一面だ。

日常にはそういう色んな事があって、仕事にもそういういろんなことがある。
お手本であるためには自らを律する必要がある。
だから、それは理想の自分に近づこうとする態度だといえないかな。
誰かが言ってる理想の人ってほら、その分野のNo.1であることが多かったりするでしょ。
週十字でスペックを表現できるような安直な目標で、それはごく一部も人だけしか手に入れることは出来ない。
何時までも劣等性を引きずって、一番にならなきゃいけないなんて事を言い続ける事に意味なんて無い。
4百人の同学年の中でオチこぼれたから、30人の会社や部署で一番にだとかビリだとか言って
人を不快にさせるような劣等生は、本当に可愛そうな人だよ。

個性と云うのは必ずしもNo.1である必要はない。
不完全でも好きな事、得意分野を複数組み合わせる事でユニークな能力を発揮できるようになる。
個性があるというのは何かの分野で一番であるという事じゃない。
教育制度の中でそれは軽視されて、上を上をという事しか言わない。
だからイビツナ目標を持った人が多くなってしまってるよう時々に思うのです。

幾人かの知人の家族にダウン症の人が居た。
彼らにも個性がある。
それぞれに好きな事や嫌いなことがあって、
ちゃんと違うパーソナリティーを備えている。
いくつかある得意な物事をそれぞれ延ばしてあげれば、
その人の個性は育つといえる。

つまるところ、個性と云うのは誰にも負けないNo.1の能力の事を言うのではなく、
好きな物事を延ばした先にあるユニーク(独特)の形質のことを指すと思います。

最後にもう一冊を紹介します。


この人の作品が好きです。
私が中身が子供の成人に対して感じてることと同じ事をこの人も考えていて、
それを作品に昇華してるのがとても凄いと思います。
6巻で敵の「支部長」が独白するんだけど、それが凄い。
そうそう、コミュ障ってこういう事を考えて言ってる、うんうん、と共感してしまう。
結局、得意な個性を表現しようとしていて無個性で、
どいつもこいつも子供という括りでしか見ることが出来ない。

このブログは運輸関係なんですけど、そういう人が非常に多い。
そういう人が反論する時に、とても薄いマニュアルを見せられたり、アホなスローガンを聞かされる。
そういう時にこの日記のタイトルを言いたくなるのですよ。
何時までも他人の考えに支配されているな。
稚拙であるから指導していて、何も洗脳しようなんて思ってないのにそういう反論をされるとむなしくなる。
お節介をやいたという事なんだろうね。
運転関係の事となれば稚拙な人は色んな問題を引き起こすからね。
お節介は黙ってろといわれても躊躇してしまうことが多いですよね。
誰かの言葉を借りるのではなく自分が勉強をして技を磨いて自らのスキルを磨き、
ただ威張ることが目的ではなく自分がちゃんと胸を張って教える側になって欲しい。
威張ることが目的なら失敗や間違いを恐れるだろう。目的が別にあるなら堂々と間違えても後で訂正すれば良いだけの話だけ。

そう、思うのですよ。